チェコの名匠ラドミル・エリシュカによるチェコ音楽で、
年明け早々幸せなスタートを切ったが、
お次はスラットキンの久々の客演。
■レナード・スラットキン指揮、N響第1719回定期公演
[2012年1月18日(水) サントリーホール]
プログラムは・・・・
ロッシーニ:「どろぼうかささぎ」序曲
ルトスワフスキ:チェロ協奏曲
(チェロ独奏:ジャン・ギアン・ケラス)
ショスタコーヴィチ:交響曲第10番
社会主義体制下での産物・ルトスワフスキとショスタコーヴィチの作品の前に置かれたロッシーニって、どんな気分で聴いたらいいのだろう・・・と心配していたが、やっぱりスラットキンという指揮者、良くも悪くも思想性とは無縁のところで、音楽と機能的に向き合う人なのだ、と思った。
ロッシーニ・クレッシェンドは、オペラが始まる前の高揚感でも、ドラマの予感でもなく、ただ楽譜にクレッシェンドと書かれているからクレッシェンドさせただけ。機能としての音しか聴こえてこない。
ショスタコーヴィチにしてもそう。
音楽に込められた作曲家の思いや叫びを読みとって表現するのではなく、オーケストラを極めて効率よくコントロールし、その機能を聴衆に披露する。
それはそれで、ライブ・パフォーマンスとしては面白く聴くことができるだろうけど・・・。
時間とお金を割いてコンサート会場に足を運ぶのは、「オーケストラ」の「音」を聴くためではなく、「音楽」を聴いて「感動」したいためなのではないだろうか。スラットキンの指揮する「オーケストラ」の「音」は、よく鳴ってはいたが、はたしてそこに「音楽」はあったのだろうか・・・?
(オーケストラの生の音に接して「爽快感」を味わう、という聴き方も否定はしないが)
コンサートが終わってホールを出たころには、何も心に残ってはいなかった・・・。

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