2011年7月10日日曜日

La fanciulla は愛人じゃない!

■映画「プッチーニの愛人」
[2011年7月10日(日) シネマート新宿]

なんとも詩情豊かな映画でした。
セリフはほとんどない。
あっても手紙を読む声とか、主要登場人物じゃない会社社長がプッチーニからの電話に応答する声とか、くらいなもの。
セリフとしての会話が「オン」で入っていないから、観客は想像力を働かせながら、事の推移を観察できる。

「オン」でないのは、セリフだけではない。
召使いの娘が、プッチーニのこわ~い奥さんにぶたれて発する叫び声もオフだったし、プッチーニに電報を届けにくるホテルのボーイの姿も「影」だった。

プッチーニの愛人問題という、きわめて「下世話」なスキャンダルが、情報量をあえて抑える手法、というか映像に語らせる高度な手法によって、一遍の詩のような映像作品に仕上がっている。

これは「観るべし!」です。

映画の公式サイトはコチラ
http://puccininoaijin.com/

そして、観に行く前の予習として、
プッチーニの「西部の娘」というオペラを是非観ておくとよろしい。
「西部の娘」に出てくる、主人公ミニーの酒場のイメージとかが、なぁるほど!、と納得できる。

あえて文句を言えば・・・、
日本語タイトルの「愛人」ってのは、いかがなもんだろう。
オペラ「西部の娘」は“La fanciulla del West”だし、この映画の原題も“Puccini e la fanciulla”、
映画の最後に流れたシューベルトの「死と乙女」だって、イタリア語では“La Mort e la fanciulla”。
つまり la fanciullaという言葉には、単に「娘」という以上に「乙女」「処女」という意味が込められていて、そこにこの映画の作り手のメッセージが込められていると思う。
週刊誌やワイドショーで使い古された「愛人」っていう語感が、この映画が醸し出している「詩情」に失礼なような感じがしてしまう。
まぁ、宣伝的には「プッチーニの愛人」の方が、刺激的なことはわかるけど・・・。

それともう一つ。
せっかくプッチーニの映画なんだから、最後の最後でシューベルトの「死と乙女」はないよなぁ。

2011年7月5日火曜日

シルク・ドゥ・ソレイユを楽しむ

■シルク・ドゥ・ソレイユ「クーザ」
[2011年7月5日(火) 原宿ビックトップ]

知人からお誘いを受け、シルク・ドゥ・ソレイユの「クーザ」を観にいった。

実は、シルク・ドゥ・ソレイユには過去に「出演」したことがあるのだ。

あれは2004年のNew Year。
ラスベガスはBellagioでの「O(オー)」という演目。
幸運なことに最前列のセンターの席が取れ、
本水を使ったスペクタクルなショーを楽しんでいたら、
なんと「客いじり」で舞台に上げられてしまったのだ。
いやぁ、びっくりしましたねぇ。
新年早々、ラスベガスの「初舞台」だもんね。

シルク・ドゥ・ソレイユの舞台はいくつも観ているが、
このときの「O」は、一番思い出に残っているなぁ。

で、今回の「KOOZA」。
無垢なイノセント少年が、トリックスターに導かれてKOOZA王国の様々な「住民」に出会い、成長していく・・・というストーリー。
その中で、様々なサーカス芸が披露されていく。
回転する巨大ホイールでのダイナミックな芸や、シーソーを使ってのジャンプなど、手に汗握る大技も楽しめたが、男女ペアによる「ハンド・トゥ・ハンド」とか、一輪車に乗った男女ペアのバランス芸なんかが、サーカス芸人の古典的で素朴な「芸」を感じられて面白かった。

シルク・ドゥ・ソレイユのショーは、
いつ見てもショーアップの演出力とテンポ感が素晴らしい。
個々の技もプロフェッショナルなら、作品の作り方やプロダクションの形態もプロフェッショナルでショービジネスそのもの。
でも、その巨大エンターテイメント企業の中に、ふと垣間見える「芸人魂」みたいなものが結構しびれるんだなぁ。

客席は、平日の昼間なのに(いや、平日の昼間だからこそ)満席。
客いじりも盛りだくさんで、大いに楽しめました。
Bravi!