■METライブビューイング「カプリッチョ」
[2011年5月14日(土) 新宿ピカデリー]
「カプリッチョ」は、リヒャルト・シュトラウス最後のオペラ。
オペラにおいて「音楽が先か、言葉が先か」という、
いわゆる、ブッフォン論争を題材にした作品。
だいたい、こんなことを題材にしなけりゃならないほど、
オペラ創作の世界では考えられることは全部やりつくしてしまった、
ともいえるのかも・・・。
もっとも、このオペラが作られたのが、第二次大戦まっただ中のドイツだから、
政治や民族なんかとはかけ離れた、あたりさわりのない題材にしたのかもね。
舞台はパリ郊外の伯爵の城の豪華なサロン。
ここには伯爵とその妹マドレーヌの二人が住んでいる。
(それと、執事や大勢の召使いたちも・・・やれやれ)
令嬢マドレーヌの誕生日の前日、
詩人や作曲家、劇場支配人(いわゆる演出家)、
パリの花形女優なんかが集まってくる。
伯爵令嬢マドレーヌに求愛する二人の男、
詩人のオリヴィエと作曲家のフラマンのライバル関係を通して、
音楽が先か言葉が先か、という一大テーマについて論じている。
まぁ、ひとことで言って、生の舞台芸術で観るには、あまりにもどうでもいい世界。
貴族の世界だろうが、古代の王家の世界だろうが、
そこに人類共通のテーマである
「愛」や「憎しみ」や「裏切り」や「友情」があるからこそ、
現代に上演されても人の心を打つのである。
貴族のお城で、
音楽が先か、言葉が先かって言われてもねぇ・・・。
たしかに、台本作者とか作曲家にとっては、
「音楽」と「言葉」のどちらを重視するかは大問題だろうが、
お客にとっては、
「楽しけりゃ」いいのである。
「感動すれば」いいのである。
そのことをオペラの中で演説してのけた劇場支配人ラ・ローシュの場面が
一番説得力があって、面白く見ることができた。
芸術家からみれば、彼は「俗物」かもしれないが、
お客の心をつかみ、興行を成立させるための
「職人魂」を持っているのだ。
(もっとも、この場合の「お客」とか「興行」は、現代とは同じではないけどね)
そもそも、オペラの中の繰り返しだって、彼の言うように、
お客には二度くらい聴かせてやらなきゃわかってもらえないからなのだ。
プロデューサーならではの劇作ノウハウである。お見事!
過去のオペラに対する批判があるんだろうが、
むしろこっちの方が説得力あるな。
召使いたちが後片付けの場面で、
「サーカス芸の方が好きだ」
とか言っているのを聞いて、
ああ、「芸術」と「エンターテイメント」が早くも分離しているんだな、
なんてことも痛感。
というわけで、わかっちゃいたけど、
あまりにもどうでもいい世界のオペラでした。
おっと、リヒャルト・シュトラウスの音楽は、美しくて素晴らしかったけどね。
それに、音楽的によく考え抜かれて作曲されているのも実感できました。
(でも、やっぱりオペラは弦楽六重奏じゃなくて、
心浮き立つ管弦楽の序曲で始まってほしいな・・・)
そうそう、
フィナーレの伯爵令嬢マドレーヌの独白の場面の直前、
月の光の間奏曲でホルンの音ががさついたのはいただけなかったなぁ。
リヒャルト・シュトラウスの音楽でホルンは最重要パートのはず。
プレッシャーもあるだろうが、ここは決めて欲しかったなぁ。残念!
ルネ・フレミング演じる伯爵令嬢は、さすがの気品。
劇場支配人ラ・ローシュ役のピーター・ローズが、
俗っぽさの中にも威厳と風格が感じられてBravo!
それにしても、イタリア人(イタリア人歌手の男女)って、
どうしてあんなふうに描かれるのかね。
ベルカントで歌って、食べて、愛して、言い争って・・・
これこそが「生きてる」ってことなのに!
音楽が先か言葉が先か、なんて考えるより、
よっぽど人間的である。
イタリア贔屓としては、こんなところも噴飯ものなのであります。

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