■ネッロ・サンティ指揮、N響定期
[2010年10月27日(水) サントリーホール]
昨夜は、マエストロ・サンティの指揮姿をサントリーホールのP席からじっくりと「観賞」。
いやあ、こんなに音楽がぎっしり詰まった音楽家の体というのも、そうそうお目にかかれるものではない。別の太っているから「ぎっしり」というのではなく、音楽そのものが確信をもって体全体から発信されてくる。だから、オーケストラの楽員も、それこそ「大船に乗った」気分で堂々と演奏できている。
そんな指揮者とオケの関係をじっくりと見て楽しむことができた。
指揮者たるもの、当たり前のようだが、自分の奏でたい音楽が的確に楽員に伝えられるということこそが「技術」ではないだろうか。
その点、サンティというひとは、物凄いテクニックの持ち主だということがわかった。
彼の場合、「カッコいい」とか「スタイリッシュ」とは程遠いが、とにかくオーケストラの後ろの席で見ているこちらにも、次にどんな音が響くのか、どんなフレージングになるのか、テンポが上がるのかゆっくりになるのか、確実にわかる「棒」なのである。
プログラムは、オール・ベートーヴェン。
交響曲第8番
序曲「レオノーレ」第3番
交響曲第5番
・・・というもの。
「レオノーレ」序曲の舞台裏での大臣到着のトランペットが、音の伸ばし方、切り方までしっかりと指揮される。そして、それがドンピシャと決まる。もう納得するしかない!
第5交響曲でも、ひたすら押しまくるだけでなく、楽器ごとのアクセントや微妙なフレージング、テンポ設定などなど、いろいろとサンティらしさが盛りだくさん。それが視覚と聴覚で、ストレスなく楽しめる。
その指揮を見ていて、ああ、オペラの人、歌の人なんだな、と改めて感心した。
ベートーヴェンの交響楽さえも、「歌心」を巨体から発散させながら指揮しているのだ。
だから、確信に満ちた堂々たる演奏が実現できるのだろう。
イタリア・オペラとベートーヴェンで、サンティの音楽を満喫できた10月でした。
2010年10月28日木曜日
2010年10月18日月曜日
未来のオペラ歌手たちにBravi!
■国立音楽大学大学院オペラ「コシ・ファン・トゥッテ」
[2010年10月16日(土)&17日(日) 国立音楽大学講堂大ホール]
週末は、国立音大の大学院オペラを鑑賞。
国立音楽大学では、ここ3年ほど、わがデラルテ舎・光瀬名瑠子が、オペラ科の院生を対象にコメディア・デラルテの特別講義をさせていただいている。
それもあって、7月の猛暑の中、コメディア・デラルテのカノバッチョ(寸劇)作りで奮闘していた若者たちをソロや合唱の中に見つけ、なんだか半分父兄になったような気持ちで、応援しながら観賞させてもらった。
今年の演目は、モーツァルトの「コシ・ファン・トゥッテ」。
重唱やアリア、レシタティーヴォ、合唱などなど、「音楽」が次から次へと魅力的に展開して、モーツァルトのオペラの中でも最も好きな作品だ。
演出は、中村敬一氏。
ダ・ポンテとモーツァルトが作った台本と音楽に忠実に、実に細かい部分まで丁寧に作っている。
未来のオペラ・スターの卵たちの研讃の成果を披露するための上演なので、変な読み替えや新解釈はない。
だから、作品に折り込まれた世界が、解りやすく視覚化されていく。
時間をかけて、丁寧に作り上げられていることも十分感じられた。
そりゃあ、技術や表現の面ではまだまだ改善すべき点も多いのだろうが、それを補って余りある質の高い公演。これまで「コシ・ファン・トゥッテ」には何度も接してきたが、今回初めて歌やレシタティーヴォであらわされている趣向まで明確に解って大いに楽しめた。
コメディア・デラルテ特別講義で体験したことが、今回のオペラ上演で少しでも「肥やし」になったであろうことを信じて・・・・Bravi!
[2010年10月16日(土)&17日(日) 国立音楽大学講堂大ホール]
週末は、国立音大の大学院オペラを鑑賞。
国立音楽大学では、ここ3年ほど、わがデラルテ舎・光瀬名瑠子が、オペラ科の院生を対象にコメディア・デラルテの特別講義をさせていただいている。
それもあって、7月の猛暑の中、コメディア・デラルテのカノバッチョ(寸劇)作りで奮闘していた若者たちをソロや合唱の中に見つけ、なんだか半分父兄になったような気持ちで、応援しながら観賞させてもらった。
今年の演目は、モーツァルトの「コシ・ファン・トゥッテ」。
重唱やアリア、レシタティーヴォ、合唱などなど、「音楽」が次から次へと魅力的に展開して、モーツァルトのオペラの中でも最も好きな作品だ。
演出は、中村敬一氏。
ダ・ポンテとモーツァルトが作った台本と音楽に忠実に、実に細かい部分まで丁寧に作っている。
未来のオペラ・スターの卵たちの研讃の成果を披露するための上演なので、変な読み替えや新解釈はない。
だから、作品に折り込まれた世界が、解りやすく視覚化されていく。
時間をかけて、丁寧に作り上げられていることも十分感じられた。
そりゃあ、技術や表現の面ではまだまだ改善すべき点も多いのだろうが、それを補って余りある質の高い公演。これまで「コシ・ファン・トゥッテ」には何度も接してきたが、今回初めて歌やレシタティーヴォであらわされている趣向まで明確に解って大いに楽しめた。
コメディア・デラルテ特別講義で体験したことが、今回のオペラ上演で少しでも「肥やし」になったであろうことを信じて・・・・Bravi!
2010年10月16日土曜日
サンティの「アイーダ」
■ネルロ・サンティ指揮、ヴェルディ「アイーダ」(N響定期)
[2010年10月15日(金) NHKホール]
サンティがN響定期で「アイーダ」全曲を演奏会形式で振るというので、久々にNHKホールの3階席に出かけた。
「アイーダ」は、その昔、初めて接したオペラの実演。
1973年、新装なったNHKホールのオープニングで上演された「イタリア歌劇団」。
指揮は、オリヴィエロ・デ・ファブリティース。オリアンナ・サントゥニオーネのアイーダの他、アムネリスがフィオレンンツァ・コッソット、ラダメスがカルロ・ヴェルゴンツィという錚々たる顔ぶれ。森下洋子と清水哲太郎が凱旋の場で踊っていたのも目に焼き付いている。
当時、高校生だった吉田少年は、舞台と声のスペクタクルに素直に衝撃を受けたのでした。
さて、その同じNHKホールで、現代のイタリア・オペラのマエストロ、ネルロ・サンティが「アイーダ」を振るという。これはもう、出かけない手はない。
全4幕を暗譜で指揮。もう、ヴェルディの音楽が、完全にあの体の中に入っている。
それは、オーケストラや合唱、ソリストといった「楽器」を使った、サンティ演出による音楽ドラマとしてのオペラ。各幕の情景が目に浮かぶようで、見事な演奏でした。
出演者の中では、アモナズロのパオロ・ルメッツが堂々としていて深みもあって立派。
使者を歌った松村英行と、女祭司長の大隅智佳子の日本人ソリスト2名も、チョイ役ながら伸びやかな声で好演。
アムネリスのセレーナ・パスクアリーニもなかなか良かったが、もう少し深みのある声の方が良かったかな。(コッソットのアムネリスと比べたら可哀想か・・・)
アイーダはサンティの演奏会で毎回お馴染みのアドリアーナ・マルフィージ。マエストロには悪いが、盛りを過ぎたのか、声量も艶も今ひとつ。全篇、不幸な境遇に耐えながら歌わなければならず、明るく発散する役どころじゃないから仕方ないのかもしれないが、もう少し若さと可憐さがあったら良かったのに・・・。
ラダメスは、韓国人のサンドロ・パーク。イタリア各地の歌劇場で活躍しているそうな。幕あきの「清きアイーダ」は、あれっ、こんなもん?て感じだったが、曲が進むにつれてだんだんと調子を上げてはきた。でも、ヘルデン・テノールとしての絶対的な存在感・声量という点では、やや物足りなかったかな。
エジプト王のフラノ・ルーフィとランフィスのグレゴル・ルジツキ、どちらも立派な歌唱でした。
そして忘れちゃならない二期会の合唱。衣裳費を気にしなくていい演奏会形式だからか、充分な人数で素晴らしいコーラスを聴かせてくれました。フォルテの部分もさることながら、ピアニッシモの部分が見事にコントロールされていて、素敵だった。
N響もマエストロ・サンティの指揮のもと、なかなかの好演。
ただ、アイーダ・トランペットは、もう少し堂々と喜ばしい演奏ができないものかね。凱旋の場を演出するラッパとしては、もうちょっと華やかさが欲しかったなぁ。
まあ、いろいろと書いたけれど、「アイーダ」というオペラは、マエストロ・サンティほどじゃないけれども、全曲頭に入っているくらい聴きこんだ大好きなオペラ。だから、思い入れも強い作品なのです。
期待通りの水準の高い上演でした。
[2010年10月15日(金) NHKホール]
サンティがN響定期で「アイーダ」全曲を演奏会形式で振るというので、久々にNHKホールの3階席に出かけた。
「アイーダ」は、その昔、初めて接したオペラの実演。
1973年、新装なったNHKホールのオープニングで上演された「イタリア歌劇団」。
指揮は、オリヴィエロ・デ・ファブリティース。オリアンナ・サントゥニオーネのアイーダの他、アムネリスがフィオレンンツァ・コッソット、ラダメスがカルロ・ヴェルゴンツィという錚々たる顔ぶれ。森下洋子と清水哲太郎が凱旋の場で踊っていたのも目に焼き付いている。
当時、高校生だった吉田少年は、舞台と声のスペクタクルに素直に衝撃を受けたのでした。
さて、その同じNHKホールで、現代のイタリア・オペラのマエストロ、ネルロ・サンティが「アイーダ」を振るという。これはもう、出かけない手はない。
全4幕を暗譜で指揮。もう、ヴェルディの音楽が、完全にあの体の中に入っている。
それは、オーケストラや合唱、ソリストといった「楽器」を使った、サンティ演出による音楽ドラマとしてのオペラ。各幕の情景が目に浮かぶようで、見事な演奏でした。
出演者の中では、アモナズロのパオロ・ルメッツが堂々としていて深みもあって立派。
使者を歌った松村英行と、女祭司長の大隅智佳子の日本人ソリスト2名も、チョイ役ながら伸びやかな声で好演。
アムネリスのセレーナ・パスクアリーニもなかなか良かったが、もう少し深みのある声の方が良かったかな。(コッソットのアムネリスと比べたら可哀想か・・・)
アイーダはサンティの演奏会で毎回お馴染みのアドリアーナ・マルフィージ。マエストロには悪いが、盛りを過ぎたのか、声量も艶も今ひとつ。全篇、不幸な境遇に耐えながら歌わなければならず、明るく発散する役どころじゃないから仕方ないのかもしれないが、もう少し若さと可憐さがあったら良かったのに・・・。
ラダメスは、韓国人のサンドロ・パーク。イタリア各地の歌劇場で活躍しているそうな。幕あきの「清きアイーダ」は、あれっ、こんなもん?て感じだったが、曲が進むにつれてだんだんと調子を上げてはきた。でも、ヘルデン・テノールとしての絶対的な存在感・声量という点では、やや物足りなかったかな。
エジプト王のフラノ・ルーフィとランフィスのグレゴル・ルジツキ、どちらも立派な歌唱でした。
そして忘れちゃならない二期会の合唱。衣裳費を気にしなくていい演奏会形式だからか、充分な人数で素晴らしいコーラスを聴かせてくれました。フォルテの部分もさることながら、ピアニッシモの部分が見事にコントロールされていて、素敵だった。
N響もマエストロ・サンティの指揮のもと、なかなかの好演。
ただ、アイーダ・トランペットは、もう少し堂々と喜ばしい演奏ができないものかね。凱旋の場を演出するラッパとしては、もうちょっと華やかさが欲しかったなぁ。
まあ、いろいろと書いたけれど、「アイーダ」というオペラは、マエストロ・サンティほどじゃないけれども、全曲頭に入っているくらい聴きこんだ大好きなオペラ。だから、思い入れも強い作品なのです。
期待通りの水準の高い上演でした。
2010年10月11日月曜日
「秘密諜報員ベートーヴェン」
いやあ、何とも面白い本に出会ったものだ。本屋でタイトルを見た瞬間、ワクワク感がスタート!
だって、あのベートーヴェンが秘密諜報員、つまりスパイだよ。
これはもう買って読むしかない。
内容は、ベートーヴェンの有名な「不滅の恋人への手紙」の検証。
これまで、ベートーヴェンは、醜男で気難しくて、生涯独身で女性にはとんと縁がない武骨者というイメージが強く、ひたすら音楽に打ちこんでいたようなイメージがあったのだが、この本は見事にそのイメージを吹き払ってくれた。
時は1812年。
そう、あのチャイコフスキーの大序曲「1812年」でも描かれている、ナポレオンのロシア遠征の年。
ベートーヴェンは、改革派の文化人として、ナポレオン支持の改革派と旧体制派の暗闘が繰り広げられていたウィーンやボヘミアで、見事スパイ活動をしていたというのだ。
さっぱり要領を得ない内容の「不滅の恋人」へのラブレターを、検閲の目をくらませるための暗号文だったという仮説を立て、ベートーヴェン本人や周囲の人々、社会の動きを検証していく。
サスペンス・ドラマのようで、一気に読み切ってしまった。
音楽家は芸術に全身全霊を打ち込んで・・・なんて、なんだか嘘くさい。
芸術家だって霞を食って生きているわかじゃないんだから・・・と思っていたが、まさにこの本を読んだら、膝をポンを打ちたくなるほど納得!
ベートーヴェン先生、音楽家である以前に、しっかりと時代の人として社会生活をしていたのだった。
この本を読んで、ベートーヴェンの音楽を聴きなおすと、それはそれは新鮮に聴こえること間違いなしです!
2010年10月10日日曜日
喜劇オペラは難しい・・・
■「奥様女中」&「ジャンニ・スキッキ」(ミラマーレ・オペラ公演)
[2010年10月10日(日) 六行会ホール]
二日続けてのオペラ鑑賞。
今日は、品川の六行会ホールという、どちらかというと「音楽向き」ではない小ホールで行われた、ミラマーレ・オペラという団体の公演。
ミラマーレ・オペラは、オペラ界における「小劇場系」ともいえる特色ある活動で頑張っているカンパニーだ。
今回の公演は、ペルゴレージ「奥様女中」とプッチーニ「ジャンニ・スキッキ」の二本立て。
二本とも、設定やキャラクターがコメディア・デラルテに通じる喜劇で、期せずして二日続けて喜劇オペラ鑑賞と相成った。
それにしても、喜劇ってのは難しいねぇ・・・。
それがオペラになるとなおさらね。
「良かれ」と思って、ドタバタ「滑稽」に振舞っても、喜劇の核心がお客さんに伝わるというものでは決してないのです。
そこには、音楽同様、高度な表現技術や緻密なアンサンブル、全体の構成力といったものが必須なのです。
出演者が面白いと思って表現しても、必ずしも観客にとって面白いかというと、そうではないんだなぁ・・・。
舞台と客席の距離が近い小規模なオペラ公演だからこそ、音楽の表現ばかりでなく、演劇的な表現力の向上もほしいな、と感じたオペラ公演でした。
今後の健闘を応援しています!
[2010年10月10日(日) 六行会ホール]
二日続けてのオペラ鑑賞。
今日は、品川の六行会ホールという、どちらかというと「音楽向き」ではない小ホールで行われた、ミラマーレ・オペラという団体の公演。
ミラマーレ・オペラは、オペラ界における「小劇場系」ともいえる特色ある活動で頑張っているカンパニーだ。
今回の公演は、ペルゴレージ「奥様女中」とプッチーニ「ジャンニ・スキッキ」の二本立て。
二本とも、設定やキャラクターがコメディア・デラルテに通じる喜劇で、期せずして二日続けて喜劇オペラ鑑賞と相成った。
それにしても、喜劇ってのは難しいねぇ・・・。
それがオペラになるとなおさらね。
「良かれ」と思って、ドタバタ「滑稽」に振舞っても、喜劇の核心がお客さんに伝わるというものでは決してないのです。
そこには、音楽同様、高度な表現技術や緻密なアンサンブル、全体の構成力といったものが必須なのです。
出演者が面白いと思って表現しても、必ずしも観客にとって面白いかというと、そうではないんだなぁ・・・。
舞台と客席の距離が近い小規模なオペラ公演だからこそ、音楽の表現ばかりでなく、演劇的な表現力の向上もほしいな、と感じたオペラ公演でした。
今後の健闘を応援しています!
フェラーリ初体験
■芸大オペラ「イル・カンピエッロ」
[2010年10月9日(土) 東京芸術大学・奏楽堂]
フェラーリはフェラーリでも、F1のフェラーリではなく、作曲家のヴォルフ・フェラーリ。
彼のオペラ「イル・カンピエッロ」を観に、上野の森の東京芸大まで出かける。
ヴォルフ・フェラーリといえば「マドンナの宝石」間奏曲しか聴いたことがなく、そのオペラの実演に接するのは初めて。
世界的にみても、そんなに上演の機会はないんじゃないだろうか。
ベネチアの小さな広場(カンピエッロ)に面して生活する4軒の家族の間で生じる恋愛騒動が、一日の時間の流れのなかで活き活きと描かれた3幕物のコミック・オペラ。
原作は、カルロ・ゴルドーニ。
登場人物も、コメディア・デラルテのキャラクターを彷彿とさせるものがある。
演出は、labo opera絨毯座の「偽のアルレッキーノ」公演でデラルテ舎ともご縁の深い久恒秀典氏。
ドアや窓の開け閉めが交錯するドタバタ感や、各人物の造形や動作をもう少しコミカルに描いてほしい気もしたが、全体的に丁寧な舞台づくりで、素直に楽しめた。
音楽的には、各幕の冒頭に流れる前奏曲(もしくは短い前奏)が、運河の街ベネチアの「水」の雰囲気を表した美しい音楽でハッとさせられたのと、2幕の幕切れで「ばあさん踊れ」と歌い踊る大合唱、3幕ラストのガスパリーナのアリア「さようなら、愛しのベネチアよ」が特に印象的。
明るく屈託がなく、ちょっとセンチメンタルなヴォルフ・フェラーリの節回しを堪能。
この時期は、オペラにコンサートに、音大の演奏会が盛んになる。
こうした珍しいオペラを、採算度外視で上演して見せてくれるのも、音大企画のいいところ。
この公演なんか、入場料はたったの3,000円!
演奏水準だって、充分に高い。
合唱だって充分な数がいて、演劇的にも音楽的にも納得のいく「厚味」を出せている。
東京の音楽シーンにとって、無視できない上演だと思うのだが、どうもメディアはきちんとレポートしたり音楽評の対象にしていない。日本の音楽ジャーナリズム(こんなものが存在するとしたらだが・・・)は音大の企画にはアンテナをあまり張っていないというか、どうも感度が鈍いんだなぁ。
[2010年10月9日(土) 東京芸術大学・奏楽堂]
フェラーリはフェラーリでも、F1のフェラーリではなく、作曲家のヴォルフ・フェラーリ。
彼のオペラ「イル・カンピエッロ」を観に、上野の森の東京芸大まで出かける。
ヴォルフ・フェラーリといえば「マドンナの宝石」間奏曲しか聴いたことがなく、そのオペラの実演に接するのは初めて。
世界的にみても、そんなに上演の機会はないんじゃないだろうか。
ベネチアの小さな広場(カンピエッロ)に面して生活する4軒の家族の間で生じる恋愛騒動が、一日の時間の流れのなかで活き活きと描かれた3幕物のコミック・オペラ。
原作は、カルロ・ゴルドーニ。
登場人物も、コメディア・デラルテのキャラクターを彷彿とさせるものがある。
演出は、labo opera絨毯座の「偽のアルレッキーノ」公演でデラルテ舎ともご縁の深い久恒秀典氏。
ドアや窓の開け閉めが交錯するドタバタ感や、各人物の造形や動作をもう少しコミカルに描いてほしい気もしたが、全体的に丁寧な舞台づくりで、素直に楽しめた。
音楽的には、各幕の冒頭に流れる前奏曲(もしくは短い前奏)が、運河の街ベネチアの「水」の雰囲気を表した美しい音楽でハッとさせられたのと、2幕の幕切れで「ばあさん踊れ」と歌い踊る大合唱、3幕ラストのガスパリーナのアリア「さようなら、愛しのベネチアよ」が特に印象的。
明るく屈託がなく、ちょっとセンチメンタルなヴォルフ・フェラーリの節回しを堪能。
この時期は、オペラにコンサートに、音大の演奏会が盛んになる。
こうした珍しいオペラを、採算度外視で上演して見せてくれるのも、音大企画のいいところ。
この公演なんか、入場料はたったの3,000円!
演奏水準だって、充分に高い。
合唱だって充分な数がいて、演劇的にも音楽的にも納得のいく「厚味」を出せている。
東京の音楽シーンにとって、無視できない上演だと思うのだが、どうもメディアはきちんとレポートしたり音楽評の対象にしていない。日本の音楽ジャーナリズム(こんなものが存在するとしたらだが・・・)は音大の企画にはアンテナをあまり張っていないというか、どうも感度が鈍いんだなぁ。
2010年10月8日金曜日
いにしえの「人の声」
■ヴィーラント・クイケン&レ・ヴォワ・ユメーヌ公演
[2010年10月7日(木) 浜離宮朝日ホール]
久しぶりに聴く「古楽」の演奏会。
大御所ヴィーラント・クイケンと、カナダの女性ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者二人組「レ・ヴォワ・ユメーヌ」による師弟共演。
「レ・ヴォワ・ユメーヌ」とはフランス語で「人の声」という意味。
ヴィオラ・ダ・ガンバという楽器は、“人の声”に最も近いとも言われている楽器だそうで、その謂れをそのままグループ名にして欧米で活躍しているらしい。
古典派やロマン派の音楽語法とは違い、昔の「人の声」と、それで紡がれる「言葉」は、現代とは全く異なる。
その演奏に身を浸していると、まるで異なる世界と対話を試みているよう。
何を語りかけてくれているのか、想像をたくましくしながらも、その優しい音色に浸った二時間でした。
[2010年10月7日(木) 浜離宮朝日ホール]
久しぶりに聴く「古楽」の演奏会。
大御所ヴィーラント・クイケンと、カナダの女性ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者二人組「レ・ヴォワ・ユメーヌ」による師弟共演。
「レ・ヴォワ・ユメーヌ」とはフランス語で「人の声」という意味。
ヴィオラ・ダ・ガンバという楽器は、“人の声”に最も近いとも言われている楽器だそうで、その謂れをそのままグループ名にして欧米で活躍しているらしい。
古典派やロマン派の音楽語法とは違い、昔の「人の声」と、それで紡がれる「言葉」は、現代とは全く異なる。
その演奏に身を浸していると、まるで異なる世界と対話を試みているよう。
何を語りかけてくれているのか、想像をたくましくしながらも、その優しい音色に浸った二時間でした。
登録:
投稿 (Atom)
