■N響Music Tomorrow 2010
[2010年6月22日(火) 東京オペラシティコンサートホール]
さて、無性に吸収したくなった「現代音楽」。
まずは、N響のMusic Tomorrow公演。
かつてN響は、3月の定期公演で尾高賞受賞作品の発表や内外の「現代音楽」でプログラミングしていた時期があった。もちろん指揮は、故・岩城宏之マエストロ。それに、ミヒャエル・ギーレンやハンス・ツェンダーなどという「現代音楽の権化」が客演で指揮したこともある。
それが、1980年代の終わり頃だったろうか。
N響定期から尾高賞作品が消え、別枠でコンサートが企画されるようになった。
プログラムとしては「現代音楽」に特化したものとなったが、定期公演の刺激性は弱まってしまったのは寂しい現象だ。
そんなわけで、わざわざ出かけた「別枠の」コンサート。今年度の尾高賞は、残念ながら「該当作品なし」だったが、今回のMusic Tomorrowでは、山根明季子のN響委嘱作品、藤家渓子の2000年「尾高賞」受賞作品に加え、フィンランドのアウリス・サリネン、フランスのマルク・アンドレ・ダルバヴィの曲が演奏された。
「水玉コレクションNo.6」というサブカルチャーを連想させるようなタイトルの山根作品。
既成の音楽語法とは大きく異なり、「水玉」のような視覚的な音が何度も反復される。オーケストラという古典的な「楽器」から新しい「音楽文化」のようなものが感じられ、ちょっとしたカルチャーショックを味わった。
百人一首に入っている壬生忠見の和歌からインスパイアした藤家作品(ギター協奏曲第2番「恋すてふ」)。ギターの囁くような音が、ドキッとするくらい美しく心に響いたかと思うと、それにオーケストラが分厚くかぶさっていく。進化し続ける西洋の管弦楽と、昔と変わらぬギターの美しさの対比が印象的。
サリネン作品は、この3月にアムステルダムで初演されたばかりの弦楽合奏とチェロ独奏の室内楽第8番「木々はみな緑」。チェロ独奏は初演者のピーター・ウィスペルウェイ。独奏チェロと弦楽合奏の音楽的会話が面白い。コンチェルトのようでいて、チェロと弦楽との緊密な室内楽的効果を醸し出していた。
ダルバヴィ作品は、メシアン生誕100年記念に作曲された作品。メシアン的和音とストラヴィンスキー的な躍動感が感じられる。ストラヴィンスキーやメシアンを生み出したヨーロッパ音楽の歴史の流れにしっかりと位置している作品であることを実感した。
総じて、どの作品も心に素直に入ってくる音楽で、響きも「美しい」。
この美しさが、今生み出されつつある同時代音楽の特徴なのだろうか。
清々しささえ感じられた「現代音楽」演奏会だった。
・・・・それにしても!客席の入りはなんとも寂しい限り。
3割か4割程度しか入ってなかったんじゃなかろうか。
「現代音楽なんだから仕方ないんじゃない」「まあ、いい方だよ」という雰囲気さえ感じてしまった。
演奏の完成度も高かっただけに、この現象は極めて残念!
主催者は、なんとなくルーティンにこの企画を毎年実施するのではなく、もっと宣伝・広報に工夫を凝らし観客創造に努めるべきなんじゃないだろか。
まだまだやるべきことはあるはず。
そうでないと、日本は世界の音楽マーケットの潮流からどんどん遠ざかってしまいますぞ。

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