思いがけずヴォルテールにゆかりの舞台を2本続けて観劇した。
土曜日に帝国劇場でミュージカル「キャンディード」。
そして、日曜日は藤原歌劇団「タンクレーディ」公演。
■ジョン・ケアード版「キャンディード」
[6月12日(土) 帝国劇場]
バーンスタイン作曲のミュージカル「キャンディード」。
それを「レ・ミゼラブル」のジョン・ケアードが演出。
ロンドンのロイヤル・ナショナル・シアターで絶賛されたジョン・ケアード版の舞台を市村正親、井上芳雄、新妻聖子ら、日本のミュージカル俳優たちで上演。
もともと「キャンディード」という作品は好きなのだ。ノリノリの序曲は、朝の仕事始めの「景気づけ」によく聴くし、構成演出を手掛けたオーケストラ・コンサートのオープニングにプログラミングしたこともある。
10年以上前、スペインを旅行したとき、マドリッドのホテルの斜め前の劇場で上演している舞台を観て、芝居小屋の背景幕にシルエットを映しながら冒険譚を紡いでいく演出に興味を抱いたこともある。
今回は、市村正親がヴォルテールとバングロスの2役。井上芳雄がキャンディード、新妻聖子がクネゴンデ。村井国夫が悲観主義者マーティン、駒田一がカカンボ、阿知波悟美が老女、などなど、東宝製作のミュージカルの常連で日本のミュージカル界を代表する顔ぶれによるキャスティング。
バーンスタインの楽曲なので、まずはしっかりと歌えるキャストを厳選したのだろう。
オケは小規模編成で、音の厚みという点では物足りなさもあったが、溌剌とした音には拍手。
今回の演出で、どこが「ジョン・ケアード版」かというと、原曲では2役を兼ねる楽天主義者バンクロスと悲観主義者マーティンを、別の役者に演じさせている点。こうするとで、楽天主義と悲観主義の間で揺れるキャンディードの「ドラマ」が、視覚的にもより一層わかりやすくなった。バーンスタイン自身、生涯を通じて、この作品の改訂が気にかかっていたといいうこともあり、こうした改訂・演出で観客の心に浸透していくことは彼も大歓迎だろう。
終演後の舞台挨拶で、井上芳雄さんが「裏話」として、「市村さん、実はこの(キャンディード出演の)話が来たときに、キャンディード役だと思ったんですよね」と暴露していたのが印象的。そのくらい市村正親さんは若々しさがある。今回の老け役も、老いさらばえた老人ではなく、生命力と色気をまだ失わない活き活きとした「老人」で、その造形こそが舞台に華やかさを添えることにつながっていたように思う。
■藤原歌劇団「タンクレーディ」
[6月13日(日) 東京文化会館]
さて、二つ目の「ヴォルテール」は、藤原歌劇団公演のロッシーニ「タンクレーディ」。
どこがヴォルテールかというと、このオペラの「原作」となっているのが、パリのコメディ・フランセーズで1760年に初演されたヴォルテールの戯曲「タンクレード」なのである。
実は、上演パンフレットの解説を読んで、ヴォルテールの戯曲が元になっていることを初めて知った次第。
だから、ヴォルテールを求めて土日にミュージカルとオペラを連続で観劇したわけではない。偶然の産物なのです、あくまでも・・・。
さて、ロッシーニのオペラというと、「セヴィリアの理髪師」に代表される喜劇、早口言葉のように軽妙なアリアや重唱の印象が強いが、この「タンクレーディ」は大真面目なオペラ・セリア。歴史劇である。
ヴォルテールに代表される啓蒙主義の時代、西洋人が自らのアイデンティティを確認する上からも、ギリシャやローマ、中世の騎士物語などの歴史劇に「ドラマ」を求めたのだろう。
しかし、それをオペラに仕立てる過程では、登場人物の心情をアリアや重唱といった音楽で表さなければならない都合から、視覚的に面白くスペクタクルな部分は割愛されてしまう傾向があるようだ。この「タンクレーディ」も、決闘や戦いの要素は「報告」という手法で処理され、舞台では視覚化されない。そして、全体的に「動き」の少ない舞台という印象を受けてしまった。もちろんこれは、演出の仕方でいかようにも解決できることだろうが、今の日本のオペラ製作の事情からすると、無理なのかな???
オペラとしては、ロッシーニの大御所だるマエストロ、アルベルト・ゼッダがソリストもオケもよくコントロールした老練な指揮で、見ごたえのある格調高い上演に仕上がっていた。
この、あまり馴染み深いとはいえない作品に果敢にチャレンジした藤原歌劇団に拍手!

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