2010年6月26日土曜日

美しい「現代音楽」-2

■アルディッティ弦楽四重奏団
[2010年6月25日(金) 津田ホール]

「極めつきの現代音楽“大使”」(公演チラシから)、アルディッティ弦楽四重奏団のコンサートを聴く。
早朝のサッカーW杯日本×デンマーク戦のTV観戦でボ~ッとした頭を濃いコーヒーで覚醒させ、いざホールへ。
弦楽四重奏という、ある意味最も「伝統的」「古典的」な編成から繰り出される演奏表現の多様さに期待!

プログラムはまず、湯浅譲二、石井眞木という大御所作曲家の作品から。
湯浅作品(「プロジェクション」)は1970年、石井作品(「弦楽四重奏曲『西・金・秋』)は1992年という、ちょっと「昔」の作品だが、「音」の可能性を真摯に開拓し、音楽としての新しい地平を提示してくれた大家たちの音楽は、今もって極めて刺激的で新鮮だ。
続く、パスカル・デュサパン「弦楽四重奏曲第5番」は2004-05年の作。強烈なピチカートで始まる曲だが、「現代音楽」の持っていた前衛性、実験性がいい意味で和らいで、聴いていてどこか心がなごむような瞬間すらある。
休憩後は、ハリソン・バードウィスルの弦楽四重奏曲「The Tree of Strings」(2007)。演奏時間は30分程にもなろうか。かなりの大作だ。ステージ後方の壁沿いにも椅子と譜面台が置かれていて、曲の後半、演奏者たちは次々と後方に場所を移して演奏し、やがて一人また一人と退場していき、曲が終わる。この視覚的な効果も面白い。

盛大な拍手にこたえて、アンコールには、アーヴィン・アルディッティが「古い作品を演奏します・・・リゲティ」とアナウンスして、ピチカートを多様した曲をプレゼント。

客席も熱い拍手で盛り上がっていた。

というわけで、現代音楽“大使”たちの演奏を聴いて、今日も、「美しい」現代音楽を堪能。
私は、演奏家でも研究者でもないから、今日演奏された曲が100%「解る」かと問われれば、そんなもんちっとも「解らない」ですよ。でも、会場で実演を観て聴いていると、確かに「楽しい」し「面白い」し、何かを感じ取ろう、何を言わんとしているのだろうか、と心を表現者たちに近づけていこうとしている。作品や表現者との「対話」があるのだ。
そして解らないながらも、五感を通じて何かが心に響いた瞬間、「美しいなぁ~」を感じるのである。

このような刺激的な体験があるから、演奏会通いはやめられないのである。

2010年6月22日火曜日

美しい「現代音楽」

■N響Music Tomorrow 2010
[2010年6月22日(火) 東京オペラシティコンサートホール]

さて、無性に吸収したくなった「現代音楽」。
まずは、N響のMusic Tomorrow公演。

かつてN響は、3月の定期公演で尾高賞受賞作品の発表や内外の「現代音楽」でプログラミングしていた時期があった。もちろん指揮は、故・岩城宏之マエストロ。それに、ミヒャエル・ギーレンやハンス・ツェンダーなどという「現代音楽の権化」が客演で指揮したこともある。

それが、1980年代の終わり頃だったろうか。
N響定期から尾高賞作品が消え、別枠でコンサートが企画されるようになった。
プログラムとしては「現代音楽」に特化したものとなったが、定期公演の刺激性は弱まってしまったのは寂しい現象だ。

そんなわけで、わざわざ出かけた「別枠の」コンサート。今年度の尾高賞は、残念ながら「該当作品なし」だったが、今回のMusic Tomorrowでは、山根明季子のN響委嘱作品、藤家渓子の2000年「尾高賞」受賞作品に加え、フィンランドのアウリス・サリネン、フランスのマルク・アンドレ・ダルバヴィの曲が演奏された。

「水玉コレクションNo.6」というサブカルチャーを連想させるようなタイトルの山根作品。
既成の音楽語法とは大きく異なり、「水玉」のような視覚的な音が何度も反復される。オーケストラという古典的な「楽器」から新しい「音楽文化」のようなものが感じられ、ちょっとしたカルチャーショックを味わった。

百人一首に入っている壬生忠見の和歌からインスパイアした藤家作品(ギター協奏曲第2番「恋すてふ」)。ギターの囁くような音が、ドキッとするくらい美しく心に響いたかと思うと、それにオーケストラが分厚くかぶさっていく。進化し続ける西洋の管弦楽と、昔と変わらぬギターの美しさの対比が印象的。

サリネン作品は、この3月にアムステルダムで初演されたばかりの弦楽合奏とチェロ独奏の室内楽第8番「木々はみな緑」。チェロ独奏は初演者のピーター・ウィスペルウェイ。独奏チェロと弦楽合奏の音楽的会話が面白い。コンチェルトのようでいて、チェロと弦楽との緊密な室内楽的効果を醸し出していた。

ダルバヴィ作品は、メシアン生誕100年記念に作曲された作品。メシアン的和音とストラヴィンスキー的な躍動感が感じられる。ストラヴィンスキーやメシアンを生み出したヨーロッパ音楽の歴史の流れにしっかりと位置している作品であることを実感した。

総じて、どの作品も心に素直に入ってくる音楽で、響きも「美しい」。
この美しさが、今生み出されつつある同時代音楽の特徴なのだろうか。
清々しささえ感じられた「現代音楽」演奏会だった。

・・・・それにしても!客席の入りはなんとも寂しい限り。
3割か4割程度しか入ってなかったんじゃなかろうか。
「現代音楽なんだから仕方ないんじゃない」「まあ、いい方だよ」という雰囲気さえ感じてしまった。
演奏の完成度も高かっただけに、この現象は極めて残念!
主催者は、なんとなくルーティンにこの企画を毎年実施するのではなく、もっと宣伝・広報に工夫を凝らし観客創造に努めるべきなんじゃないだろか。
まだまだやるべきことはあるはず。
そうでないと、日本は世界の音楽マーケットの潮流からどんどん遠ざかってしまいますぞ。

2010年6月21日月曜日

現代音楽

「現代音楽」・・・・なんとも不思議な響きである。

ある種の音楽について、こんな表現でジャンル分けするのは「クラシック音楽」特有の現象だ。
ビートルズだってマイケル・ジャクソンだって、演歌だってユーミンだって、(例がいささか古いかな?)・・・・言ってみればどれもみな「現代」の音楽。
でも「現代音楽」なんていう言い方はしない。

一方、クラシックの分野では、一番尖っていた「現代音楽」は、メシアンにしろブーレーズにしろ、ケージにしろシュトックハウゼンにしろ、ほとんどが「前世紀」・・・つまり20世紀の音楽。(まだご存命で現役バリバリの作曲家もいらっしゃいますが・・・)
そもそも、なんで現代音楽は「尖って」いなきゃならないのか?

ここのところ、モーツァルトやマーラーがメインのコンサートやオペラの世界に浸ってきただけに、急に、いわゆる自分と同世代・同時代の作曲家の作品がプログラミングされた、「現代音楽」のコンサートに出かけたくなった。

というわけで、「N響Music Tomorrow」(6/22オペラシティ)とアルディッティ弦楽四重奏団(6/25津田ホール)のチケットを手配。
どんな「音楽」に出会えるだろうか。
「現代音楽」は、オケの編成や奏法、演奏家の配置など、実は見た目にも面白い要素がたくさんあるのです。

D's COMMENTは、また改めて。

2010年6月19日土曜日

至福のマーラー体験

■インバル&都響、マーラー「復活」
[2010年6月18日(金) ミューザ川崎シンフォニーホール]

実に見事なマーラーだった!
インバルの「復活」を聴くのは、もう何回目だろう。
N響でも、フィルハーモニア管でも、そしてもちろん都響でも。
しかし今回は、そのインバル&都響が、ミューザ川崎シンフォニーホールでマーラー「復活」を演奏するというので、多摩川を渡って川崎に出かけた。

理由は、このホールの素晴らしい音響空間で、インバル&都響のマーラーを実体験したかったから。

そして、期待に違わず、見事な演奏。
至福のマーラー体験となった。

何よりも、オケの音が舞台から湧き上がってくるのが「見える」。
ホールも素晴らしけりゃ、インバルの手腕もさすが!そして、それに応える都響の底力!!
その素晴らしい音響空間の中で、インバルは曲に様々な表情をつけながら、マーラーの大きなうねりを構築していく。
その姿は、まるで司祭のよう。

終楽章クライマックス、オルガンが加わるところなど、地底から湧き上がるオケの音と、天から降り注ぐオルガンの音、そして「人間」に力づよい合唱が一体となってホール空間を満たし、まさに「復活した~!」というよろこびで背筋がゾクゾクした。

そして素晴らしかったのは曲終わり。
最後の和音の余韻を充分堪能してから、幾分控え目に起こった拍手。
そして爆発的な大喝さい!
演奏が見事なら、お客も見事だった。

演奏家、曲目、ホール、聴衆・・・・演奏会を構成する全ての要素が素晴らしい化学反応をして、心に残る一夜となった。

これぞ!マーラー。
ヘンテコリンな超高速マーラーに辟易したばかりだったから、マーラーの醍醐味を味わいたいという音楽的渇望も充分満たされ、こちらの心も「復活」いたしました。

2010年6月17日木曜日

超高速マーラー

■アシュケナージ指揮N響定期
[2010年6月16日(水) サントリーホール]

いやはや超高速運転のマーラーだった。
曲は交響曲第6番「悲劇的」。

冒頭の行進曲風な出だしから、アシュケナージはオケを煽りたてて突き進む。
なにも、そんなにまで急がなくてもいいんじゃないの???
それは「躍動感」というよりも、むしろ「せっかち」といったほうがふさわしい速さ。
(彼の指揮姿も、どこかギクシャクしたせっかちな振り方だから、見た目が音楽に見事に反映!)
第1楽章が終わったときなんか、思わず笑いが出てしまった。

第2楽章と第3楽章は、通常の順番を入れ替えて演奏。
プログラムの挟み込みには
「第2、3楽章の順番については音楽学者のあいだでも論議されており、マーラー自身の結論が証明されていないことから、現在ではどちらの順番も演奏されています」
とある。
ふ~ん、そうだったんだ。
でも、普段聞いてる順番のほうが、しっくりくるなあ。

それにしても、スケルツォなんか速過ぎるよ。
耽美的に歌い上げる演奏じゃないから、管楽器軍団など威勢よく咆哮する。
威勢がいいのはいいんだが、もう少しマーラーの「響き」とか「歌」に浸っていたい気がするが、そんなことにはお構いなしに、シャカシャカと演奏は進む。

そして、終楽章も相変わらずのスピード違反高速走行。
ドカン!ドカン!と運命のハンマーを2回振りおろし、せっかちに早口でまくしたてて演奏は終了。
全体として、「悲劇的」というよりも、「悪魔の行進」のようなグロテスクなマーラー第6交響曲でした。
(あ、この曲に関しては、グロテスクさが感じられたということは、表現の方向性としては間違ってなかったということなんだろうか・・・)

演奏が終わって、アシュケナージは一人満足そうに嬉々としていたが、楽員のみなさんや他のお客さんはどうだったんでしょうねぇ。
私といたしましては、この方向性で表現されるのなら、アシュケナージのマーラー演奏の積極的な聴衆には今後なりたくないなぁ・・・という感想を抱いた次第であります。

さっさと帰ろう!
と、思わず速足でホールを後にして帰ってきました。

2010年6月14日月曜日

トニー賞!



トニー賞が発表になった。
さる4月にNYを訪問し、オペラやコンサートとともに、ブロードウェイのショービジネスを楽しんできたばかり。その限られたNY滞在中に選んだブロードウェイ作品の受賞はいかに???
「ゴージャズ!」というにふさわしいRadio City Music Hallでの授賞式の模様をNHK-BSの中継で観た。


4月のNY訪問で観たブロードウェイ作品は、次の3本。
「MILLION DOLLAR QUARTET」
「LEND ME A TENOR」
「FELA!」
3本とも、複数のカテゴリーのノミネート作品に選ばれている。
はたして賞の行方は???

「FELA!」が最優秀振付賞(Bill T. Jones)、最優秀ミュージカル衣裳デザイン賞(Marina Draghici)、最優秀ミュージカル音響デザイン賞(Robert Kaplowitz)の三つを獲得。「MILLION DOLLAR QUARTET」が最優秀ミュージカル助演男優賞(Levi Kreis)を獲得。
30秒に1回、大笑いして観た「LEND ME A TENOR」は、惜しくも最優秀賞の受賞は逃してしまったが、自分としては、今年のベストワンの舞台だった!

全カテゴリーの受賞リストは下記をご参照あれ。
http://www.tonyawards.com/en_US/nominees/winners.html

賞の結果には様々ご意見があろうが、短いNY滞在中に、素晴らしい舞台で楽しませてくれたBROADWAYに乾杯!

土日にヴォルテール

思いがけずヴォルテールにゆかりの舞台を2本続けて観劇した。
土曜日に帝国劇場でミュージカル「キャンディード」。
そして、日曜日は藤原歌劇団「タンクレーディ」公演。


■ジョン・ケアード版「キャンディード」
[6月12日(土) 帝国劇場]

バーンスタイン作曲のミュージカル「キャンディード」。
それを「レ・ミゼラブル」のジョン・ケアードが演出。
ロンドンのロイヤル・ナショナル・シアターで絶賛されたジョン・ケアード版の舞台を市村正親、井上芳雄、新妻聖子ら、日本のミュージカル俳優たちで上演。

もともと「キャンディード」という作品は好きなのだ。ノリノリの序曲は、朝の仕事始めの「景気づけ」によく聴くし、構成演出を手掛けたオーケストラ・コンサートのオープニングにプログラミングしたこともある。
10年以上前、スペインを旅行したとき、マドリッドのホテルの斜め前の劇場で上演している舞台を観て、芝居小屋の背景幕にシルエットを映しながら冒険譚を紡いでいく演出に興味を抱いたこともある。

今回は、市村正親がヴォルテールとバングロスの2役。井上芳雄がキャンディード、新妻聖子がクネゴンデ。村井国夫が悲観主義者マーティン、駒田一がカカンボ、阿知波悟美が老女、などなど、東宝製作のミュージカルの常連で日本のミュージカル界を代表する顔ぶれによるキャスティング。
バーンスタインの楽曲なので、まずはしっかりと歌えるキャストを厳選したのだろう。
オケは小規模編成で、音の厚みという点では物足りなさもあったが、溌剌とした音には拍手。

今回の演出で、どこが「ジョン・ケアード版」かというと、原曲では2役を兼ねる楽天主義者バンクロスと悲観主義者マーティンを、別の役者に演じさせている点。こうするとで、楽天主義と悲観主義の間で揺れるキャンディードの「ドラマ」が、視覚的にもより一層わかりやすくなった。バーンスタイン自身、生涯を通じて、この作品の改訂が気にかかっていたといいうこともあり、こうした改訂・演出で観客の心に浸透していくことは彼も大歓迎だろう。

終演後の舞台挨拶で、井上芳雄さんが「裏話」として、「市村さん、実はこの(キャンディード出演の)話が来たときに、キャンディード役だと思ったんですよね」と暴露していたのが印象的。そのくらい市村正親さんは若々しさがある。今回の老け役も、老いさらばえた老人ではなく、生命力と色気をまだ失わない活き活きとした「老人」で、その造形こそが舞台に華やかさを添えることにつながっていたように思う。


■藤原歌劇団「タンクレーディ」
[6月13日(日) 東京文化会館]

さて、二つ目の「ヴォルテール」は、藤原歌劇団公演のロッシーニ「タンクレーディ」。
どこがヴォルテールかというと、このオペラの「原作」となっているのが、パリのコメディ・フランセーズで1760年に初演されたヴォルテールの戯曲「タンクレード」なのである。
実は、上演パンフレットの解説を読んで、ヴォルテールの戯曲が元になっていることを初めて知った次第。
だから、ヴォルテールを求めて土日にミュージカルとオペラを連続で観劇したわけではない。偶然の産物なのです、あくまでも・・・。

さて、ロッシーニのオペラというと、「セヴィリアの理髪師」に代表される喜劇、早口言葉のように軽妙なアリアや重唱の印象が強いが、この「タンクレーディ」は大真面目なオペラ・セリア。歴史劇である。
ヴォルテールに代表される啓蒙主義の時代、西洋人が自らのアイデンティティを確認する上からも、ギリシャやローマ、中世の騎士物語などの歴史劇に「ドラマ」を求めたのだろう。
しかし、それをオペラに仕立てる過程では、登場人物の心情をアリアや重唱といった音楽で表さなければならない都合から、視覚的に面白くスペクタクルな部分は割愛されてしまう傾向があるようだ。この「タンクレーディ」も、決闘や戦いの要素は「報告」という手法で処理され、舞台では視覚化されない。そして、全体的に「動き」の少ない舞台という印象を受けてしまった。もちろんこれは、演出の仕方でいかようにも解決できることだろうが、今の日本のオペラ製作の事情からすると、無理なのかな???

オペラとしては、ロッシーニの大御所だるマエストロ、アルベルト・ゼッダがソリストもオケもよくコントロールした老練な指揮で、見ごたえのある格調高い上演に仕上がっていた。
この、あまり馴染み深いとはいえない作品に果敢にチャレンジした藤原歌劇団に拍手!

2010年6月6日日曜日

VIVA!南イタリア

■アッコルドーネ公演
[2010年6月5日(土) 三鷹市芸術文化センター風のホール]

客の心をつかんだら、「古楽」と「民俗音楽」の垣根をひょいっと飛び越え、南イタリアの地に舞い降りた・・・そんな心躍るような楽しいコンサートだった。

前回も今回も、日本公演のチラシに使われている中心メンバーで歌手のマルコ・ビーズリーの特異な表情(スキンヘッドに鬼気迫る表情)もあって、どんな音楽をするグループなのか気になっていたのだ。今回は、コンサートに「フラ・ディアーヴォロ」とタイトルをつけ、ナポリやプーリア、カラブリア、バジリカータなど南イタリアの伝承歌謡で構成。フラ・ディアーヴォロ~悪魔の修道士・・・・スキンヘッドの彼がそうなのか???

今回のメンバーは、歌のビーズリー、音楽監督でチェンバロとオルガンのグィード・モリーニ、バロック・ギターのステファーノ・ロッコ、テオルボのフランコ・パヴァン、リュートのファビオ・アックルソ、そしてフレーム・ドラムのマウロ・ドゥランテの6人。
演奏された曲は、スペインやギリシャ、ナポレオンのフランス軍やイタリア共和国など、支配階級に翻弄されながらも、たくましくしたたかに生きた民衆が、日々の生活の中で歌い奏でた音楽だ。様々なタランテッラや伝承歌謡をビーズリーとモリーニが「古楽」の節度と教養で構成。マルコ・ビーズリーの表現と、若いマウロ・ドゥランテのフレーム・ドラムの妙技が、他のメンバーの節度を保った演奏表現に乗って冴えわたる。
カラブリアに伝わるルッフォ枢機卿の軍隊の歌「高らかに打ち鳴らせ」の勇ましい行進曲風な曲から、戦いが済んで民衆には辛い生活の日々が戻っただけだと訴えているような「馬車引きの歌」への流れで締めくくられるコンサートのフィナーレが秀逸。南イタリアの荒れた大地と乾いた風が見えた!

とにもかくにも、南イタリアへの観光的な興味に終わることなく、プログラムの根底に存在している「民衆」を実感できたコンサート。アッコルドーネという古楽グループ、今後の企画からも目が離せそうにない。次はどんな切り口でプログラムを組んでくれるのだろうか。楽しみだ。

そうそう、アフターコンサートには、もちろんナポリ風ピッツァの店に直行!
マルゲリータやフンギ・ビアンコの熱々ピッツァと白ワインで胃袋にも南イタリアの風を入れてあげました。

2010年6月5日土曜日

コンサートは見て楽しむもの!

■スピノジ指揮、新日本フィル
[2010年6月4日(金) サントリーホール]

公演チラシの裏には、指揮者のヨーロッパでの演奏会評から「(指揮者)は古楽にナイトショー的スパイスを加えた」とある。ナイトショー???どんな仕掛けがあるのだろうか?ただただその興味から、ジャン=クリストフ・スピノジが指揮する新日本フィルの定期に出かけた。席はサントリーホールの2階RAブロック。指揮者の表情はもちろん、下手舞台袖からの出入りもよく見える。

予想に反して、オケは対向配置ではなく通常の配置。大きさは12型。
1曲目のモーツァルト「コジ・ファン・トゥッテ」序曲から、ノンビブラート奏法を基本とし、拍やテンポのメリハリを強調した生気あふれる音楽が展開。いわゆる古楽系のアプローチだが、妙に学究的になることなく「見て聞いて」楽しめる演奏だ。
続くメッツォ・ソプラノのリナート・シャハムを迎えての「フィガロ」と「コジ」からのアリアも然り。ソリストはオケの前のスペースを縦横に使い、動きの面でもアリアの世界を十分に「演出」して見せる。

「事故」はハイドンの交響曲83番「雌鶏」の第2楽章で起こった。弦の音を長くのばしてから、管が入るところで、指揮者のQと弦が一瞬ずれた。音楽の表情を強調したための一瞬の「事故」。コンマスの機転で音楽が崩壊せずに済んだが、久しぶりに味わう生の演奏会ならではのスリル。ナイトショーだとすれば、芸人がジャグリングの球を落としたようなものか。マエストロ・スピノジは、これで一気に「汗」が噴き出したのか、目に入った汗をしきりに手やジャケットで拭う。あいにくハンカチは持ってない。楽章が終わって、女性ヴァイオリン奏者からハンカチを借り、目に入った汗をぬぐっていた。
休憩時にはステマネが指揮台に白いハンカチを用意。登場したスピノジは、ハンカチの存在を確認し、客席にアピールし笑いを誘う茶目っ気ぶりも。

ロッシーニの序曲とアリアを表情豊かに演奏したあと、ラストはやはりハイドンの「熊」(交響曲第82番)。その終楽章がまさにサプライズ演出。これで終わりかとラストを盛り上げておいて、拍手のフライングをわざと誘う。(かく言う自分も不覚にもフライングしてしまった!)そしてもう一度フィナーレ。最後の和音は何度か繰り返す。客はもうフライングしたくないから拍手していいものかどうか一瞬のためらいが会場に充満。指揮者が客席を向いて、ああ本当に終わったんだ。と思いきや、オケがすかさずもう一発ジャン!指揮者もびっくり!ハイドンの交響曲だからこそできる「遊び」「見世物的効果」。こういうことに遭遇できるから演奏会通いはやめられない。そして、コンサートは「見て楽しむもの!」ということを改めて実感した一夜だった。

このスピノジという指揮者、まだ若くキャリアもほんの数年といったところか。これから欧米の音楽シーンで名前が挙がってくる人材だろう。
彼の演奏会はこの1回だけ。しかし、お試しとはいえ、彼との演奏会を実現させた新日本フィルの英断に拍手!