2010年12月23日木曜日

青春の打楽器

■洗足学園音楽大学「打楽器アンサンブル定期演奏会」
[2010年12月23日(木・祝) 洗足学園・前田ホール]

年末恒例、元気をくれるコンサート。
それがこのコンサート。
洗足学園音大は演奏会活動が盛んだが、その中でもこの「打楽器定期」は、毎回大入り満員の人気シリーズだ。

打楽器は、もともとパフォーマンス性が高い。
物を叩いて音を出す・・・それがリズムとなりメロディーも加わって人の心を揺さぶる・・・聴く人の心に、ある時は強烈に、ある時はさざ波のように自然と伝わっていく。
多彩な打楽器の種類、民族や時代によっても様々な奏法、そして演奏者同志の阿吽の呼吸や躍動感・・・それらのどれもが、見ていて心を打たれる。

今日のプログラムは・・・
・鬼太鼓座で有名になり、和太鼓ブームの先駆けともなった石井眞木の「モノクローム~日本太鼓群と銅鑼のための~」
・マリンバ四重奏で中澤道子「日本の四季」
・ステールパンバンドで2曲
・今年度の委嘱作品、田中利光「Pneuma(息吹き)」
・民族打楽器アンサンブルで、「マシュ・ケ・ナダ」
・マーチングパーカッションで4曲
後半は、大編成の打楽器オーケストラで
・レスピーギ(高橋泰生編曲):「ローマの松」
(アッピア街道のバンダは、金管の替りに小太鼓!パイプオルガンの前に陣取って、こちらに行進してくるようで迫力満点!)
そしてフィナーレに、毎年お馴染みの
西原大樹:「UKOZNES」

なんとも変化に富んだ構成で大いに楽しませてくれた。

この打楽器の演奏会には、打楽器コースの学生たちが一丸となって演奏会を作り上げていくパワーが漲っている。そして、それは最後の「UKOZNES」(これは、洗足のローマ字を逆さにしたものだが、打楽器定期の定番フィナーレ曲みたいなもの)の盛り上がりで最高潮に達する。
この曲の「歌」の部分には、彼らの「青春」の様々な想いが凝縮されているようで、いつも胸が熱くなる。
このコンサートを成功させるために、ともに汗を流した「友」は、明日からは試験に向けての「ライバル」となる。
残酷なまでの現実。
でも、それが現実なのだよ・・・。

そして、また新しい年がやってくる。

2010年12月19日日曜日

仏様の前でバロック音楽に癒される

■「暖音~バッカスからの招待」
[2010年12月19日(日) 求道会館]

知り合いのバリトン歌手・春日保人さんが出演するバロック音楽のコンサートに出かけた。
場所は、本郷にある「求道会館」。
こんなところに、こんな立派な建造物があるとは知らなかった。
キリスト教会風の造りだが、仏教系。
正面には六角堂があり、中に仏様がいらっしゃる。
その前に、クラヴサンを置いて演奏。
会場は何とも優しい音がして、気持ち良く音楽に身を委ねることができる。

演奏会のタイトルは・・・
「暖音~バッカスからの招待」

出演は・・・
春日保人(バリトン、フラウト・トラヴェルソ)
玉木祥子(フラウト・トラヴェルソ)
春日万里子(クラヴサン)

春日保人さんは、バリトン歌手であるばかりでなく、リコーダーやフラウト・トラヴェルソも演奏し、いつも多彩なプログラムで楽しませてくれる、素晴らしい才能の持ち主です。

プログラムは、マラン・マレ、フランシス・クープラン、オトテール・ル・ロマン、ジャン=フィリップ・ラモーなど、フランスの宮廷で活躍した作曲家の作品で構成。
第1部のラストには、ルイ・ニコラ・クレランボーのカンタータ「ポリュペモス(一つ目巨人)」からのレシタティフとエール。第2部のフィナーレには、ボワモルティエのカンタータ「四季」より、酒の神バッカスを謳った『秋』。
仏様の前で聴くことを考えると、茶目っ気にあふれた選曲だが、仏様もきっと微笑みながら一緒に楽しんでくださったことだろう。(だいぶ前、秩父のお寺の本堂でコメディア・デラルテを上演したことがあったが、この時も住職さんはとても喜んでくださった。)

滅多に聴く機会のない曲ばかりだったが、心休まる空間に響く、まさに「暖かい音」に癒されながら、楽しいひと時を過ごすことができた。
こういう音楽会もいいもんだ。

2010年12月17日金曜日

「反音楽史」


いいなぁ、こういうタイトル。
「音楽史」に『反』がついて、しかも副題が「さらば、ベートーヴェン」!
こういう挑戦的なタイトルにはついつい惹かれてしまう。

日本におけるクラシック音楽って、バッハ、ハイドン、モーツァルト、ベートーヴェン・・・ときて、あとはシューベルトだのブラームスだの・・・。ドイツ・オーストリア系が主流みたいなところがある。(世界的にみても、そうか・・・)

でも、音楽で使われる用語はイタリア語ばかりだし、オペラだってイタリア発祥だし、ヴァイオリンだってイタリアのクレモナが有名だし・・・。モーツァルトだってチャイコフスキーだってイタリアに旅行して、その風土や芸術に影響を受けた。

でも「音楽史」という、まじめな歴史ジャンルの中では、なぜかドイツが主流。
イタリアは、音楽家たちが刺激を受けた土地ではあるが、「音楽」を体系化したのは偉大なるドイツ!
こういう「歴史」を作ったのは、実はドイツの学者たちだったというわけ。
歴史というものは、権力を握った「支配者」や「為政者」が、自国の都合のいいように作文するもの。
音楽も然りで、その歴史観が遠く極東の島国の小学校の音楽室の肖像画にまで影響を与えているのだ。
毎日のように第九が鳴り響く年末に、世の中をちょっと斜に構えて、この本のページをめくってみてはいかが?
歴史を検証する意味で、とても真面目で参考になるオススメ本です。

2010年12月15日水曜日

暗く重い音楽と対話するには・・・

■シャルル・デュトワ指揮、N響第1690回定期公演
[2010年12月15日(水) サントリーホール]

ショスタコーヴィチの交響曲第8番というのは、何とも暗く、重く、解放感のない曲なんだろう。第二次大戦のスターリングラードでの独ソ戦のさなかに作曲されたという。厳しく辛い戦争の空気を反映してか、なんともいえない悲愴感が曲の全体を占めている。時代や民族の証人としての音楽は、芸術作品の存在理由として重要であるが・・・・やはり、それを客席で鑑賞するとなると、正直言って「楽しい」体験ではなく、精神的にかなりきつい負荷をかけられたような重たい気分。

音楽会に出かけるということは、何も「楽しみ」や「悦び」だけを求めているわけではないのは百も承知だが、やっぱり、どこか「スカッ」とした気になったり、深い感動を味わったりしたいものである。

そういう点では、終演後、晴れやかな顔にはならず、重い気分でホールを後にせざるを得なかった。

演奏は、デュトワの指揮で素晴らしかったけれど・・・。

こういう芸術作品と「生」の現場で直接向き合わなければならない、ということの「意味」を少し時間をかけて考えてみたい・・・。

プログラムは、前半にピエール・ロラン・エマールのピアノ独奏で、ラヴェルのピアノ協奏曲。こちらも、後半のショスタコーヴィッチの影響を受けたのか、「華麗」というよりは、どこか翳りのある「燻し銀」のような響き。別の言い方をすれば、大人のラヴェルだった。

ソロ・アンコールで披露されたのは、リゲティの「ムジカ・リテルカーナ第1番」という曲。何だか蒸気機関車の発車から速度アップの様子を表しているみたいで、面白い小品だった。

2010年12月11日土曜日

音大オケフェス・最終日

■第2回音楽大学オーケストラ・フェスティバル
東京音楽大学+東京藝術大学
[2010年12月11日(土) 東京芸術劇場・大ホール]

音大オケ・フェスの最終日は、満員札止めの盛況。
音大生たちのオーケストラ演奏に期待してくださるお客様たちで、客席はいっぱい。
やはり、大入りの公演というものは、企画運営に携わっている一員としても気持ちのいいものである。

プログラムは、東京音大が三石精一氏の指揮で、ドヴォルジャークの新世界交響曲。
東京藝大が、ダグラス・ポストック氏の指揮で、エルガーの「エニグマ」変奏曲。
そして、今回は両校が合同オケを編成して、ボストック指揮で、レスピーギの「ローマの祭」を演奏するという豪華版。

東京音大は、大ヴェテラン・三石マエストロのエネルギッシュな指揮に導かれ、「新世界」を伸び伸びと演奏。特に、ホルンが安定感のある素晴らしい演奏をしていたのには驚いた。
藝大は、イギリス人指揮者ボストック氏によるお国物・エルガー。この変奏曲の各曲のニュアンスの違いがよくわかる、とても丁寧な演奏だった。
そして、最後の大編成「ローマの祭」も、見事なもの。大喝采を浴びていた。

終演後は、ロビーで交流会。
椅子を並べて演奏し合った両校の学生さんたちの話の輪が、そこここに広がって盛り上がっていました。

これで、今年度の8大学、2校ずつの競演による演奏会シリーズは無事終了。
いよいよ、来年3月には、「史上初!」とチラシにも銘打ってあるように、8大学合同のオーケストラによる演奏会が、池袋と川崎で催されます。こちらも、乞うご期待!

2010年12月7日火曜日

懐かしのメノッティ

■「アマールと夜の訪問者」&クリスマス・オペラコンサート
[2010年12月7日(火) 四谷区民ホール]

師走の一夜、二期会のメンバーで構成される「二期会マイスタージンガー」の演奏会に出かけた。第一部は、ジャン・カルロ・メノッティ台本&作曲によるオペラ「アマールと夜の訪問者」。第二部がミュージカルやオペラの名曲とクリスマス・ソングで構成。

メノッティというと、はるか昔、クラシックのコンサート通いを始めた頃、メノッティ自身が来日して「領事」、「電話」&「霊媒」の3作を演出・上演するという「メノッティ・フェスティバル」なる催しがあって、「領事」公演の方に出かけたことがある。当時は、メノッティなんて作曲者のことは全然知らなかったが、まだ来日演奏家の数もそんなに多くなかった頃のこと、作曲者自身が来て自作を演出する、ということにピーンと反応したものだ。

高校の図書館の限られた資料の中からメノッティのことを調べ、わくわくしながら早めに会場の東京文化会館へ。4階席で一生懸命パンフレットの解説を読んでいると、やがて開演5分前のベル。下の客席を見て愕然とした。客がいない!不入りというかガラガラというか・・・・客がまばらなのだ。これには正直言って大ショックだった。

作曲者自身が来日ってことは、言ってみれば「現代音楽」。それも、今ほどオペラの聴衆も多くない。主催者も大変だったのだろう。因みに、藤原歌劇団の公演でした。

「領事」は、東西冷戦時代、体制の中での市民の悲劇を描いた暗いドラマだが、「アマール~」は東方三賢人の旅の途中の一夜、貧しい母子に起こった奇跡を描いた、心温まるクリスマス物オペラ。子供向きにテレビ・オペラとして作曲された。音楽はどれも耳に心地よいメロディにあふれ、聴きやすい。メノッティという人、さすがイタリア人らしく、音楽の土台に「歌」がしっかりとあるのだろう。

今回の公演は、小規模なホールで、簡単な道具と簡素な照明、ピアノ伴奏での上演だった。作品の規模も舞台装置も小規模なだけに、演出面でしっかりとした練り込み作業をして(・・・つまり、演出家をきちんと立てて)上演したら、もっと感動的な舞台になったのに、と思った。足の悪いアマール少年に奇跡が起こる瞬間なんか、このオペラのクライマックスなのだから・・・・。

2010年12月6日月曜日

宮古島の「歌」

■宮古島の神歌と古謡
[2010年12月4日(土) 法政大学・薩埵ホール]

沖縄は芸能の宝庫、と言われている。
そして、それらの多くは、神事と深い関係がある。いや、神事そのものといった方がいいかもしれない。
機能化した都会生活とは違った時間の流れや生活が、そこにはあるのだろう。

沖縄の島々の中でも、あまり聴く機会のない宮古島の「神歌」と「古謡」を紹介してくれる催しがあったので、出かけてみた。

本来、信仰の中で行われる芸能や民俗芸能といわれるものを舞台芸能として鑑賞すると、どこか物足りなさを感じてしまうことが多いのだが、宮古島の「おばあ」たちが歌う神歌や古謡には、芸能本来が持っている「強さ」みたいなものがあって、心地よい時間を体験できた。

ただ、いかんせん、言葉が全然わからない。
おばあたちの歌に感動した企画者の熱い気持ちはわかるけれど、歌詞や神事の内容などの鑑賞に必要な情報や、なぜ素晴らしいか・貴重なのか、などをもう少し理論的に聴衆に伝えて欲しかったかな。

2010年12月5日日曜日

音大オケフェス・3日目

■第2回音楽大学オーケストラ・フェスティバル
武蔵野音楽大学+国立音楽大学
[2010年12月5日(日) ミューザ川崎シンフォニーホール]

音大オケフェスの3日目は、武蔵野音大と国立音大の競演。
しかも、どちらもブラームス。
武蔵野音大が合唱団も入れて、黒岩英臣氏の指揮で「ドイツ・レクイエム」(抜粋)。
国立音大が、梅田俊明氏の指揮で交響曲第2番。

こういうプログラムが楽しめるのも、このフェスティバルならではの面白みだ。

演奏は、どちらも誠実・丁寧にブラームスの楽曲に取り組んでいる姿が感じられ、好感がもてる。正直なところ、若者らしくもっと力強さとか躍動感、エネルギーみたいなものがほしいかな、という感じもなくはなかったが、曲が曲だけに、そんなに勝手にはじけるわけにもいかないのだろう。一にも二にも、真摯な姿勢で取り組んでいた。

それに、こういう曲は、勢いだけで押しまくってサマになる曲ではないだけに、難しさもひとしおだろう。

どちらも、曲が始まったときは、いくぶん緊張気味だったが、だんだんとホールの響きにも慣れてきて、最後はアンサンブルの厚みや盛り上がりも充分。客席からも盛大な拍手が贈られていた。

さて、次回12/11(土)は東京芸術劇場で東京音楽大学と東京藝術大学の競演。両大学の合同による、レスピーギ「ローマの祭り」の演奏もあるのでお楽しみに!

MET3本目にしてやっとイタリア物

■METライブビューイング「ドン・パスクワーレ」
[2010年12月4日(日) 新宿ピカデリー]

METのライブビューイング2010-2011シーズンの3本目は、ドニゼッティ作曲の喜劇「ドン・パスクワーレ」。ドイツ物(しかもワーグナー!)、ロシア物(しかもムソルグスキー!)と、正直言って胃にもたれそうな重量級路線が続いたので、体の方がイタリア物の「歌」や「躍動感」を欲していたという感じ。本当に楽しみにしていた演目だ。

オットー・シェンクの演出は、主要登場人物4人(金持ちドン・パスクワーレ、その息子エスネスト、医者マラテスタ、美しい未亡人ノリーナ)を活き活きと動かすばかりでなく、ローマの下町の雰囲気をセットや紗幕でも効果的に舞台に表し、召使いや町の人々の合唱団の人数で「都会」の活力まで表していて素晴らしい。

キャストでは、ノリーナ役のアンナ・ネトレプコが、奔放な女性をのびのびと演じ歌って、楽しい。

ドン・パスクワーレ役のジョン・デル・カルロは、姿形からして喜劇の主人公。周囲に翻弄される金持ち老人ぶりが見事。

本来のコメディア・デラルテなら、ご主人さまたちの恋愛騒動に加担するのは召使いの役目だが、このオペラでは医者、つまりドットーレのマラテスタが一人でいろいろ画策する。演じるのは、黒い丸眼鏡をかけた怪しげなマリウシュ・グヴィエチェン。

ドン・パスクレーレ家の3人のしょうもない召使いを演じた助演や、ノリーナの命令で集められた使用人や出入り商人などの町の衆の合唱団が、活き活きとしていて何とも見事。

そして何よりも、素直に楽しめるイタリア・オペラの歌や音楽の生命力に改めて感動。

やっぱりイタリアはいいなぁ・・・。

2010年11月27日土曜日

音大オケ・フェス2日目

■第2回音楽大学オーケストラ・フェスティバル
東邦音楽大学+昭和音楽大学
[2010年11月27日(土) ミューザ川崎シンフォニーホール]

昨年から始まった、首都圏の8つの音楽大学が競演する学生オーケストラの祭典、「音楽大学オーケストラ・フェスティバル」。
今年の第2回目の演奏会も、学生たちの溌剌とした演奏とお客様の熱い拍手で無事終演しました。

今日の組み合わせは、
東邦音楽大学(指揮:末廣誠)
  ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」
昭和音楽大学(指揮:マッシミリアーノ・マテシッチ)
  メンデルスゾーン:交響曲第4番「イタリア」
  レスピーギ:交響詩「ローマの松」
そして、それそれの大学の演奏の前に、相手校からのファンファーレがある。

両校のオケとも、技術的にも音楽的にも難しい曲に真剣に取り組み、懸命に、しかも溌剌と演奏してくれました。
アンサンブルの精度という面からみると、そりゃあまだまだ経験不足な面が時おり見えてしまうのは仕方ないこと。でも、それを補って余りある、「懸命さ」とか「チャレンジ精神」みたいなものが、客席にいても感じられ、気持ちいい。
それと、特筆すべきは、管楽器のレベルが高さ。両校とも、「思い切り」のいい演奏をしていたのには、正直驚き。吹奏楽活動が全国的に盛んになっていることの成果だろう。

終演後は、交流パーティも催され、パート同志、セクション同志で交流の輪ができて盛り上がっていました。(これが大事なんだな・・・)

次回は12月5日(日)。ミューザ川崎シンフォニーホールで、武蔵野音楽大学と国立音楽大学の競演。
どちらもブラームスという、これまた重厚なプログラム。
(武蔵野音大が「ドイツ・レクイエム」より、国立音大が交響曲第2番)
乞うご期待!

2010年11月24日水曜日

夢現の中でのロマン派2曲

■マルクス・シュテンツ指揮、N響定期
[2010年11月24日(水) サントリーホール]

この季節になると出るのがアレルギー性鼻炎。
ちょっとした気温の変化や空気の乾燥具合で、くしゃみ、鼻水が止まらなくなったり、涙目になったり・・・。それを抑える薬の効果で、気持ちよく意識と無意識の間を漂っている中、あれっと思うようなテンポの揺れや強烈なアクセントで一時的に目が覚める・・・。
不覚にも、そんなコンサート体験だった。

曲は、ブラームスのヴァイオリン協奏曲とシューマンの交響曲第2番。
指揮は、ケルン歌劇場の音楽総監督を務めるマルクス・シュテンツ。
ヴァイオリンは、ヴェロニカ・エーベルレ。

シュテンツは、特にシューマンで響きテンポ、アクセントにいろいろと工夫を凝らして、実演としてはなかなか面白く聴くことができた。
ただ、それが後々まで心に残るような、深い音楽体験につながるかというと・・・それは疑問。
(まぁ、こちらの体調のせいもあるのだが・・・)
自分のやり方をオーケストラに浸透させるには、何度か共演を重ねてみないとね。
オケには気に入られてるような空気が見ていて感じられたので、またそのうち客演することもあるでしょう。

そうそう、ソリストのヴェロニカ・エーベルレ、舞台姿もスラリとして美しいし、音も綺麗だし・・・なかなか良いヴァイオリニストでした。

2010年11月21日日曜日

打楽器による「視る音」の世界

■Percussive Movement vol.8
[2010年11月21日(日) 青山円形劇場]

“古巣”の青山円形劇場で、パーカッショニストの梯郁夫氏が主宰する打楽器の公演を「観た」。

チラシの謳い文句によると、
  ボーダレスなパーカッションカルテットが
  360°完全円形ステージに紡ぐ
  「視る音」の世界。
とある。

まさに、打楽器の演奏会は視覚的にも楽しめる。
マリンバやティンパニなどといった「当たり前の」楽器から、様々な民族楽器、そしてスキューバダイビングの空気ポンプから、身の周りの品から造った創作楽器まで・・・。

叩いたり擦ったりしたら音が出た・・・その音でリズムをとったら面白かった・・・そのリズムを少しずらしてみたらさらに面白かった・・・・、というような音楽の「原初体験」みたいなもので構成したようなコンサート。
演奏者の「いたずら心」や「茶目っ気」も感じられて、楽しい内容だ。

それにしても、円形劇場の空間は、このような打楽器のパフォーマンスには最適だ。
かくいう私も、青山劇場・青山円形劇場に在籍していた時代には、打楽器の演奏会を何回か企画したり担当したりしたもんです。

他の楽器に比べ、打楽器というのは楽器の搬出入やセッティングに時間と労力を要する。
ある演奏家が言っていたけれど、肉体労働8割・演奏2割のエネルギー配分だとか。
このコンサートシリーズは19年前にスタートして、今回が8回目。5年ぶりの開催だとか。
次回の開催を、心から楽しみにしています。

2010年11月14日日曜日

MET2本目はロシアの歴史劇

■METライブビューイング「ボリス・ゴドゥノフ」
[2010年11月13日(土) 新宿ピカデリー]

今シーズン2作目のMETライブビューイングは、プーシキン原作、ムソルグスキー作曲の「ボリス・ゴドゥノフ」。
今をときめくヴァレリー・ゲルギエフの指揮、スティーヴン・ワズワース演出による新プロダクション。
タイトル・ロールはルネ・パーペ。

メインキャストのほかに、120名の大合唱、40名の助演という大人数で、ロシアの歴史ドラマを重厚に描いていた。
このくらいの物量がないと、ロシア史劇のリアリティは出せない。
改めて、METの組織力に脱帽。

ルネ・パーペのボリス・ゴドゥノフ、堂々たる風格の中に、過去の過ちに対しておびえる一人の男の心の揺れが感じられて素晴らしかった。
が、それ以上に、権勢欲の強いポーランド貴族マリーナを演じたエカテリーナ・セメンチュックと、ある意味、このオペラの「視点」を代表する聖愚者を演じたアンドレイ・ポポフの二人が印象的。
セメンチュックは、かつて東京芸術劇場でエリアフ・インバル指揮フィルハーモニア管弦楽団でマーラー・チクルスを催したとき、「復活」のソリストで来日したメゾ・ソプラノ。あの時は、まだ若手ながら深みのある歌声で印象的だったが、今回は、女のしたたかさ、意地悪さを感じさせる堂々たる風格。声のニュアンス、目線の鋭さ、享楽にふけるポーランド貴族の中で権謀術数をめぐらすしたたかさが表現されていて素晴らしい存在感だった。
聖愚者のポポフは、姿形もいかにも浮浪僧といった雰囲気。その「狂気」の中に「真実」の視点が感じられて好演。

終幕、ボリス側の貴族たちを民衆がなぶるシーンは、壮絶・凄惨なものがあったが、抑圧された民衆の怒りが徹底的に表現された点では非常に効果的。オペラの冒頭で、ボリスの登場を歓迎する群衆の姿と対比させると、いつの世も民というものは移り気で無責任なものだと痛感してしまう。
それだからこそ、聖愚者の存在が必要になってくるのだろう。

ドイツ物、ロシア物と続いたMETライブビューイング。そろそろイタリア物を楽しみたくなってきた。

2010年11月9日火曜日

日本でもMET新シーズン開幕!

■METライブビューイング「ラインの黄金」
[2010年11月8日(月) 新宿ピカデリー]

さぁて、今シーズンもいよいよ始まりました!
ニューヨークはメトロポリタン・オペラのライブビューイング。
その“開幕作品”は、ワーグナーの「ラインの黄金」。
演出は、ロベール・ルパージュだ。

何列にも連なった細長く巨大な特設床を回転させて、空間や背景を自在に変化させていく。
そして、その床でできた急勾配の斜面を、ワイヤーを装着した出演者が登ったり降りたりする。
シルク・ドゥ・ソレイユで培った演出手法を存分にオペラの世界でも活用し、ワーグナーの楽劇の神話世界を大胆に造形してくれている。
こんなことができるのも、組織力・経済力に優れたMETならではのことだろう。

とかくワーグナーの楽劇というと、歌手が延々と歌うばかりで、舞台の見た目がちっとも変化しないという印象がある。しかし、ルパージュの大胆な舞台機構による演出では、空間の壮大さが効果的に出て、観ていて飽きなかった。
ただし、METではこの舞台装置で「指輪」4作を2シーズンかけて新制作するそうな。
2本目、3本目と進むにつれて、このスペクタクル性にこちらの感性が慣れてしまって、飽きがこなければいいのだけれど・・・。

「ラインの黄金」は、「ニーベルングの指輪」4部作の『序夜』ということで、休憩なしの2時間半。
さすがに途中、気が遠くなることが何度かあったっけ・・・。
ワーグナーの舞台作品を丸ごと許容できる体力・気力というものは、やはり特殊な才能とか嗜好性とかなのだろうか。
観終わって、本当に疲れ果てました。

指揮は、音楽監督のジェイムズ・レヴァイン。
腰の調子が悪いらしく、カーテンコールでも舞台中央まで進めないのが、何となく痛々しかった。
もっとも、傾斜のついた舞台じゃ、危ないけどね・・・。

ヴォータン役のブリン・ターフェルが、堂々とした体格と歌唱で立派。
アルベルヒ役のエリック・オーウェンズもなかなかの熱演。
ローゲ役のリチャード・クロフトに、カーテンコールでブーイングが飛んでいたのは、なぜだろう?

巨大なワーグナー歌手たちとスペクタクルな舞台で、神々や巨人族の神話世界にどっぷりつかることができました。

次は、ロシア物でムソルグスキーの「ボリス・ゴドゥノフ」。これも体力勝負だぞ。

2010年11月8日月曜日

メッツマッハーが面白い!

■インゴ・メッツマッハー指揮、新日本フィル定期
[2010年11月7日(日) すみだトリフォニーホール]

「新しい音を恐れるな」の著者、インゴ・メッツマッハーが指揮する新日本フィルの演奏会に出かけた。

曲は、マーラーの交響曲第6番。
メッツマッハーの“師匠”はミヒャエル・ギーレンだそうで、かつてギーレンが初来日してN響を振ったときも、このマーラーの6番があり、私としてはその時がこの曲との出合いだった。
(1975年のこと。35年も前の話だ・・・)
現代音楽のスペシャリストといわれる指揮者は、マーラーの6番を好む傾向があるのだろうか。

さて、その演奏、それはそれは見事な演奏だった。
久しぶりにこの曲の醍醐味を堪能した感じ。
全体の構成感がしっかりしていて、どちらかというと風変わりで破天荒な音楽が、確信をもって進んでいく。

舞台裏でカウベルが鳴ったり、終楽章でハンマー(木槌)を振りおろすなんていう「新しい音」を取り入れた交響曲。
恐れることなく楽しむことができました。

メッツマッハーは来シーズンも新日本フィルに客演することになったそうである。
コンセプチュアルなプログラミングで、面白いオーケストラコンサートをどんどん創造してほしい。

2010年11月6日土曜日

音大オケフェス開幕!

■第2回音楽大学オーケストラ・フェスティバル
洗足学園音楽大学+桐朋学園大学
[2010年11月6日(土) 東京芸術劇場・大ホール]

今年も始まりました「音楽大学オーケストラ・フェスティバル」。
小生、この立ち上げ(というか再開?)に関わり、今も実行委員会の中でアドバイザーを務めさせていただいている。

さて、その初日は、洗足学園音楽大学と桐朋学園大学の競演。

洗足が、秋山和慶先生の指揮で、
  リーバーマン:ジャズバンドと交響楽団のための協奏曲
  ストラヴィンスキー:組曲「火の鳥」(1919年版)
桐朋が、高関健氏の指揮で、
  R.シュトラウス:交響詩「英雄の生涯」
・・・という、それそれの大学の特色を活かした、重量感ある渾身のプログラム。

洗足は、音大で初めてジャズ科を設置したこともあり、リーバーマンの曲に挑戦!
いい意味で、折り目ただしく、きちんと演奏してくれたことにより、ジャズとクラシックの語法の化学反応が面白く実体験できた。
プロのオーケストラの公演では、なかなかお目にかかれない曲だが、20世紀の音楽シーンの一面を象徴する曲として、もっと演奏されてもいい曲だ。
「火の鳥」は、昨年の「春の祭典」に続くストラヴィンスキーへの挑戦。
こちらも、なかなかの力演でした。

後半は、桐朋学園大学が「英雄の生涯」という大曲を演奏。
さすがに弦の力量は凄い。
ヴァイオリン・ソロ(コンミス)は、ロン・ティボー国際音楽コンクールで入賞し、近年ソリストとしても活躍中の南紫音さん。
オケの配置も、コントラバスが下手に来る対向配置。しかも18型という大編成。
ズシリとした低音に支えられた、厚味のある見事な響きで、充実した演奏をしてくれました。

桐朋の方は、アンコールにエルガーの「威風堂々」第1番を演奏するというオマケつき。
会場のお客様も、おおいに盛り上がってくれました。

この音楽大学オーケストラ・フェスティバル。
プロのオーケストラの公演では聴けないようなプログラム構成が興味深かったり、充分に時間をかけて練り込まれたアンサンブルや若者らしい溌剌とした演奏に出会えて、面白いコンサートだと思います。
客席を見回しても、一般の音楽ファン、オーケストラ・ファンらしきお客様がたくさんいらっしゃり、熱い拍手を贈ってくださっている。
音大オケ「未体験」の方は、是非お出かけください。

これからの予定は・・・
11/27(土)15:00 ミューザ川崎シンフォニーホール
東邦音楽大学+昭和音楽大学

12/5(日)15:00 ミューザ川崎シンフォニーホール
武蔵野音楽大学+国立音楽大学

12/11(土)15:00 東京芸術劇場・大ホール
東京音楽大学+東京藝術大学

そして来年3月末には、初の試みとして8大学の選抜メンバーによる合同オケ(音楽大学フェスティバル・オーケストラ)の公演も決定。
乞うご期待!

2010年11月5日金曜日

歌、言葉、そして感動

■耕友会コンサートVol.6
[2010年11月3日(水・祝) 新宿文化センター]

4年前、わがデラルテ舎の光瀬名瑠子が、東京芸術劇場シアターオペラで「道化師」を演出したときからのご縁で、「耕友会」のコンサートを聴かせていただいた。
耕友会は、指揮者で作曲家の松下耕氏が指導する9つの合唱団によって構成される合唱団だ。

今回の演奏会は、松下耕氏の“指揮者生活25周年”と銘打たれ、オルガン・ソロの曲あり、オーケストラ曲あり、そして混声合唱とオケの曲が2曲と、全曲松下耕作品による渾身のプログラム。
オケは東フィル。オルガンは新山恵理さん。

どの曲にも「歌心」があふれており、そして声楽の入る曲では、「言葉」が音楽にのってしっかりとメッセージとして聴く者の心に伝わり、感動的な演奏会だった。日本語にしろラテン語にしろ、「言葉」をとても大切にして表現していることがよくわかる。
そして、コダーイ・システムを本格的に日本に導入して指導している松下耕氏の日頃の指導の成果で、複数の団体の混成チームである「耕友会」合唱団が見事に訓練されていることが客席からも感じ取れた。この基礎の上に、音楽上の表現やメッセージが「感動」になって聴衆に伝わっていくのだろう。
見事!

松下耕氏と耕友会の音楽活動、これからも応援!

2010年11月2日火曜日

ネルソンスが熱い!

■アンドリス・ネルソンス指揮、ウィーン・フィル
[2010年11月1日(月) サントリーホール]

ウィーン・フィルの来日公演の初日。
いま話題の指揮者、アンドリス・ネルソンス指揮を初めて聴いた!

ラトビア生まれの33歳。
体格が大きく、表情は明るくおおらか。
指揮もエネルギッシュで、やりたいことが明確に伝わっている。
名門ウィーン・フィルを、ある時は煽りたて、ある時は心地よく流しながら、表情豊かなど堂々たる演奏を披露。
久しぶりに聴くウィーン・フィルの実演を大いに楽しませてくれた。

プログラムは・・・・
モーツァルト:交響曲第33番
トマジ:トロンボーン協奏曲(独奏:ディートマル・キューブルベック)
ドヴォルザーク:交響曲第9番「新世界より」

それにしても、カラヤンやベームと来日していた頃と違い、ウィーン・フィル来日公演の様子も随分と変わってきたもんだ。毎年のように来日しているから、もはや名門ウィーン・フィルを東京で聴くことに特別な感慨など不要になってしまったかのよう。その昔、カール・ベーム指揮の東京公演に出かけた時なんか、それはそれは異常なまでに精神が高揚していたもんで、客席も「一音たりとも聴き逃すまい」というような緊張感が充満していたもんだ。
それに比べ、なんと平静な雰囲気であったことか。
東京の音楽シーンの充実ぶりに、改めて感心。

アンコールには、「美しき青きドナウ」なんてものはややらず、ブラームス(ドヴォルザーク編曲)の「ハンガリー舞曲第20番」という、ちょっと変わった趣向。新世界交響曲がウィーン初演された際に、ブラームスとドヴォルザークが客席で並んで聴いたというエピソードを連想させ、心憎い選曲だ。

アンドリス・ネルソンスは来年の「東京・春・音楽祭」で、ワーグナーの「ローエングリン」を振りに再びやってくる。これは絶対に聴きものですよ!

2010年10月28日木曜日

歌心で指揮するベートーヴェン

■ネッロ・サンティ指揮、N響定期
[2010年10月27日(水) サントリーホール]

昨夜は、マエストロ・サンティの指揮姿をサントリーホールのP席からじっくりと「観賞」。

いやあ、こんなに音楽がぎっしり詰まった音楽家の体というのも、そうそうお目にかかれるものではない。別の太っているから「ぎっしり」というのではなく、音楽そのものが確信をもって体全体から発信されてくる。だから、オーケストラの楽員も、それこそ「大船に乗った」気分で堂々と演奏できている。
そんな指揮者とオケの関係をじっくりと見て楽しむことができた。

指揮者たるもの、当たり前のようだが、自分の奏でたい音楽が的確に楽員に伝えられるということこそが「技術」ではないだろうか。

その点、サンティというひとは、物凄いテクニックの持ち主だということがわかった。
彼の場合、「カッコいい」とか「スタイリッシュ」とは程遠いが、とにかくオーケストラの後ろの席で見ているこちらにも、次にどんな音が響くのか、どんなフレージングになるのか、テンポが上がるのかゆっくりになるのか、確実にわかる「棒」なのである。

プログラムは、オール・ベートーヴェン。
交響曲第8番
序曲「レオノーレ」第3番
交響曲第5番
・・・というもの。

「レオノーレ」序曲の舞台裏での大臣到着のトランペットが、音の伸ばし方、切り方までしっかりと指揮される。そして、それがドンピシャと決まる。もう納得するしかない!
第5交響曲でも、ひたすら押しまくるだけでなく、楽器ごとのアクセントや微妙なフレージング、テンポ設定などなど、いろいろとサンティらしさが盛りだくさん。それが視覚と聴覚で、ストレスなく楽しめる。

その指揮を見ていて、ああ、オペラの人、歌の人なんだな、と改めて感心した。
ベートーヴェンの交響楽さえも、「歌心」を巨体から発散させながら指揮しているのだ。
だから、確信に満ちた堂々たる演奏が実現できるのだろう。

イタリア・オペラとベートーヴェンで、サンティの音楽を満喫できた10月でした。

2010年10月18日月曜日

未来のオペラ歌手たちにBravi!

■国立音楽大学大学院オペラ「コシ・ファン・トゥッテ」
[2010年10月16日(土)&17日(日) 国立音楽大学講堂大ホール]

週末は、国立音大の大学院オペラを鑑賞。
国立音楽大学では、ここ3年ほど、わがデラルテ舎・光瀬名瑠子が、オペラ科の院生を対象にコメディア・デラルテの特別講義をさせていただいている。
それもあって、7月の猛暑の中、コメディア・デラルテのカノバッチョ(寸劇)作りで奮闘していた若者たちをソロや合唱の中に見つけ、なんだか半分父兄になったような気持ちで、応援しながら観賞させてもらった。

今年の演目は、モーツァルトの「コシ・ファン・トゥッテ」。
重唱やアリア、レシタティーヴォ、合唱などなど、「音楽」が次から次へと魅力的に展開して、モーツァルトのオペラの中でも最も好きな作品だ。

演出は、中村敬一氏。
ダ・ポンテとモーツァルトが作った台本と音楽に忠実に、実に細かい部分まで丁寧に作っている。
未来のオペラ・スターの卵たちの研讃の成果を披露するための上演なので、変な読み替えや新解釈はない。
だから、作品に折り込まれた世界が、解りやすく視覚化されていく。
時間をかけて、丁寧に作り上げられていることも十分感じられた。

そりゃあ、技術や表現の面ではまだまだ改善すべき点も多いのだろうが、それを補って余りある質の高い公演。これまで「コシ・ファン・トゥッテ」には何度も接してきたが、今回初めて歌やレシタティーヴォであらわされている趣向まで明確に解って大いに楽しめた。

コメディア・デラルテ特別講義で体験したことが、今回のオペラ上演で少しでも「肥やし」になったであろうことを信じて・・・・Bravi!

2010年10月16日土曜日

サンティの「アイーダ」

■ネルロ・サンティ指揮、ヴェルディ「アイーダ」(N響定期)
[2010年10月15日(金) NHKホール]

サンティがN響定期で「アイーダ」全曲を演奏会形式で振るというので、久々にNHKホールの3階席に出かけた。

「アイーダ」は、その昔、初めて接したオペラの実演。
1973年、新装なったNHKホールのオープニングで上演された「イタリア歌劇団」。
指揮は、オリヴィエロ・デ・ファブリティース。オリアンナ・サントゥニオーネのアイーダの他、アムネリスがフィオレンンツァ・コッソット、ラダメスがカルロ・ヴェルゴンツィという錚々たる顔ぶれ。森下洋子と清水哲太郎が凱旋の場で踊っていたのも目に焼き付いている。
当時、高校生だった吉田少年は、舞台と声のスペクタクルに素直に衝撃を受けたのでした。

さて、その同じNHKホールで、現代のイタリア・オペラのマエストロ、ネルロ・サンティが「アイーダ」を振るという。これはもう、出かけない手はない。
全4幕を暗譜で指揮。もう、ヴェルディの音楽が、完全にあの体の中に入っている。
それは、オーケストラや合唱、ソリストといった「楽器」を使った、サンティ演出による音楽ドラマとしてのオペラ。各幕の情景が目に浮かぶようで、見事な演奏でした。

出演者の中では、アモナズロのパオロ・ルメッツが堂々としていて深みもあって立派。
使者を歌った松村英行と、女祭司長の大隅智佳子の日本人ソリスト2名も、チョイ役ながら伸びやかな声で好演。
アムネリスのセレーナ・パスクアリーニもなかなか良かったが、もう少し深みのある声の方が良かったかな。(コッソットのアムネリスと比べたら可哀想か・・・)
アイーダはサンティの演奏会で毎回お馴染みのアドリアーナ・マルフィージ。マエストロには悪いが、盛りを過ぎたのか、声量も艶も今ひとつ。全篇、不幸な境遇に耐えながら歌わなければならず、明るく発散する役どころじゃないから仕方ないのかもしれないが、もう少し若さと可憐さがあったら良かったのに・・・。
ラダメスは、韓国人のサンドロ・パーク。イタリア各地の歌劇場で活躍しているそうな。幕あきの「清きアイーダ」は、あれっ、こんなもん?て感じだったが、曲が進むにつれてだんだんと調子を上げてはきた。でも、ヘルデン・テノールとしての絶対的な存在感・声量という点では、やや物足りなかったかな。
エジプト王のフラノ・ルーフィとランフィスのグレゴル・ルジツキ、どちらも立派な歌唱でした。

そして忘れちゃならない二期会の合唱。衣裳費を気にしなくていい演奏会形式だからか、充分な人数で素晴らしいコーラスを聴かせてくれました。フォルテの部分もさることながら、ピアニッシモの部分が見事にコントロールされていて、素敵だった。

N響もマエストロ・サンティの指揮のもと、なかなかの好演。
ただ、アイーダ・トランペットは、もう少し堂々と喜ばしい演奏ができないものかね。凱旋の場を演出するラッパとしては、もうちょっと華やかさが欲しかったなぁ。

まあ、いろいろと書いたけれど、「アイーダ」というオペラは、マエストロ・サンティほどじゃないけれども、全曲頭に入っているくらい聴きこんだ大好きなオペラ。だから、思い入れも強い作品なのです。

期待通りの水準の高い上演でした。

2010年10月11日月曜日

「秘密諜報員ベートーヴェン」

いやあ、何とも面白い本に出会ったものだ。

本屋でタイトルを見た瞬間、ワクワク感がスタート!
だって、あのベートーヴェンが秘密諜報員、つまりスパイだよ。
これはもう買って読むしかない。

内容は、ベートーヴェンの有名な「不滅の恋人への手紙」の検証。

これまで、ベートーヴェンは、醜男で気難しくて、生涯独身で女性にはとんと縁がない武骨者というイメージが強く、ひたすら音楽に打ちこんでいたようなイメージがあったのだが、この本は見事にそのイメージを吹き払ってくれた。

時は1812年。
そう、あのチャイコフスキーの大序曲「1812年」でも描かれている、ナポレオンのロシア遠征の年。

ベートーヴェンは、改革派の文化人として、ナポレオン支持の改革派と旧体制派の暗闘が繰り広げられていたウィーンやボヘミアで、見事スパイ活動をしていたというのだ。

さっぱり要領を得ない内容の「不滅の恋人」へのラブレターを、検閲の目をくらませるための暗号文だったという仮説を立て、ベートーヴェン本人や周囲の人々、社会の動きを検証していく。

サスペンス・ドラマのようで、一気に読み切ってしまった。

音楽家は芸術に全身全霊を打ち込んで・・・なんて、なんだか嘘くさい。
芸術家だって霞を食って生きているわかじゃないんだから・・・と思っていたが、まさにこの本を読んだら、膝をポンを打ちたくなるほど納得!
ベートーヴェン先生、音楽家である以前に、しっかりと時代の人として社会生活をしていたのだった。
この本を読んで、ベートーヴェンの音楽を聴きなおすと、それはそれは新鮮に聴こえること間違いなしです!

2010年10月10日日曜日

喜劇オペラは難しい・・・

■「奥様女中」&「ジャンニ・スキッキ」(ミラマーレ・オペラ公演)
[2010年10月10日(日) 六行会ホール]

二日続けてのオペラ鑑賞。

今日は、品川の六行会ホールという、どちらかというと「音楽向き」ではない小ホールで行われた、ミラマーレ・オペラという団体の公演。
ミラマーレ・オペラは、オペラ界における「小劇場系」ともいえる特色ある活動で頑張っているカンパニーだ。

今回の公演は、ペルゴレージ「奥様女中」とプッチーニ「ジャンニ・スキッキ」の二本立て。
二本とも、設定やキャラクターがコメディア・デラルテに通じる喜劇で、期せずして二日続けて喜劇オペラ鑑賞と相成った。

それにしても、喜劇ってのは難しいねぇ・・・。
それがオペラになるとなおさらね。
「良かれ」と思って、ドタバタ「滑稽」に振舞っても、喜劇の核心がお客さんに伝わるというものでは決してないのです。
そこには、音楽同様、高度な表現技術や緻密なアンサンブル、全体の構成力といったものが必須なのです。
出演者が面白いと思って表現しても、必ずしも観客にとって面白いかというと、そうではないんだなぁ・・・。

舞台と客席の距離が近い小規模なオペラ公演だからこそ、音楽の表現ばかりでなく、演劇的な表現力の向上もほしいな、と感じたオペラ公演でした。
今後の健闘を応援しています!

フェラーリ初体験

■芸大オペラ「イル・カンピエッロ」
[2010年10月9日(土) 東京芸術大学・奏楽堂]

フェラーリはフェラーリでも、F1のフェラーリではなく、作曲家のヴォルフ・フェラーリ。
彼のオペラ「イル・カンピエッロ」を観に、上野の森の東京芸大まで出かける。

ヴォルフ・フェラーリといえば「マドンナの宝石」間奏曲しか聴いたことがなく、そのオペラの実演に接するのは初めて。
世界的にみても、そんなに上演の機会はないんじゃないだろうか。

ベネチアの小さな広場(カンピエッロ)に面して生活する4軒の家族の間で生じる恋愛騒動が、一日の時間の流れのなかで活き活きと描かれた3幕物のコミック・オペラ。
原作は、カルロ・ゴルドーニ。
登場人物も、コメディア・デラルテのキャラクターを彷彿とさせるものがある。

演出は、labo opera絨毯座の「偽のアルレッキーノ」公演でデラルテ舎ともご縁の深い久恒秀典氏。
ドアや窓の開け閉めが交錯するドタバタ感や、各人物の造形や動作をもう少しコミカルに描いてほしい気もしたが、全体的に丁寧な舞台づくりで、素直に楽しめた。

音楽的には、各幕の冒頭に流れる前奏曲(もしくは短い前奏)が、運河の街ベネチアの「水」の雰囲気を表した美しい音楽でハッとさせられたのと、2幕の幕切れで「ばあさん踊れ」と歌い踊る大合唱、3幕ラストのガスパリーナのアリア「さようなら、愛しのベネチアよ」が特に印象的。
明るく屈託がなく、ちょっとセンチメンタルなヴォルフ・フェラーリの節回しを堪能。

この時期は、オペラにコンサートに、音大の演奏会が盛んになる。
こうした珍しいオペラを、採算度外視で上演して見せてくれるのも、音大企画のいいところ。
この公演なんか、入場料はたったの3,000円!
演奏水準だって、充分に高い。
合唱だって充分な数がいて、演劇的にも音楽的にも納得のいく「厚味」を出せている。

東京の音楽シーンにとって、無視できない上演だと思うのだが、どうもメディアはきちんとレポートしたり音楽評の対象にしていない。日本の音楽ジャーナリズム(こんなものが存在するとしたらだが・・・)は音大の企画にはアンテナをあまり張っていないというか、どうも感度が鈍いんだなぁ。

2010年10月8日金曜日

いにしえの「人の声」

■ヴィーラント・クイケン&レ・ヴォワ・ユメーヌ公演
[2010年10月7日(木) 浜離宮朝日ホール]

久しぶりに聴く「古楽」の演奏会。
大御所ヴィーラント・クイケンと、カナダの女性ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者二人組「レ・ヴォワ・ユメーヌ」による師弟共演。

「レ・ヴォワ・ユメーヌ」とはフランス語で「人の声」という意味。
ヴィオラ・ダ・ガンバという楽器は、“人の声”に最も近いとも言われている楽器だそうで、その謂れをそのままグループ名にして欧米で活躍しているらしい。

古典派やロマン派の音楽語法とは違い、昔の「人の声」と、それで紡がれる「言葉」は、現代とは全く異なる。
その演奏に身を浸していると、まるで異なる世界と対話を試みているよう。
何を語りかけてくれているのか、想像をたくましくしながらも、その優しい音色に浸った二時間でした。

2010年9月25日土曜日

音楽もサービス精神と活きが命

■佐渡裕指揮、シエナ・ウインド・オーケストラ定期演奏会
[2010年9月24日(金) 東京芸術劇場・大ホール]

舞台に団員が出てきたときの温かい拍手にハッとした。
演奏会を楽しみにしていた期待感とオケへの親近感に満ちた、とてもフレンドリーな「響き」。東京のプロ・オケ演奏会では、あまり体験しない拍手の響きだったからだ。
これは、首席指揮者の佐渡裕とシエナ・ウインド・オケの長年にわたるプロ吹奏楽団としての活動の「成果」かな?(シエナは結成20周年だとか・・・メデタイメデタイ!)

今まで何度か「シエナ」の演奏会を聴いてきたが、その「サービス精神」と「活きの良さ」に、今回もたっぷり楽しませていただきました。

プログラムは、
クロード・トーマス・スミス:華麗なる舞曲
ホルスト:吹奏楽のための第2組曲
レスピーギ:リュートのための古風な舞曲とアリア 第3組曲(真島俊夫編曲)
レスピーギ:交響詩「ローマの祭り」(森田一浩編曲)

それに、いつもお決まりの佐渡マエストロのコテコテの関西風トークで進められる「音楽のおもちゃ箱」コーナーが休憩前にあり、定番のアンコールではスーザのマーチ「星条旗よ永遠なれ」を楽器持参の聴衆を舞台に上げて大合奏して盛り上がる。

どこか体育会系ノリもある吹奏楽というジャンルだが、シエナの演奏会はオペラやオーケストラの気取った雰囲気とは異なり、いつも音楽をエンジョイする空気があふれていて、一聴衆としても大いに楽しめる。
これからも応援してまっせ!

2010年9月23日木曜日

劇作家・井上ひさしの原点

■テアトル・エコー「日本人のへそ」
[2010年9月21日(火) 恵比寿・エコー劇場]

井上ひさしが劇作家としての第一歩を踏み出した作品、「日本人のへそ」がテアトル・エコーで上演されるというので、恵比寿のエコー劇場まで出かけた。

作家の急逝により図らずも「追悼公演」となってしまい、チケットは早々と完売。
興行界において、「追悼」ほど強力な宣伝効果はないのだなと痛感。

「劇作家としての第一歩」と書いたが、NHKの「ひょっこりひょうたん島」の台本作者をしていた井上ひさし氏に、海賊トラヒゲの声を吹き込んでいた熊倉一雄氏が芝居の執筆を依頼したというのが本作および「劇作家・井上ひさし」の誕生というわけ。

執筆を依頼し、初演でも演出・出演した熊倉一雄氏が今回も演出。
きっとこの作品に特別な思い入れをお持ちなのだろう・・・。あまり奇抜な演出はせず、井上作品がストレートに展開されていく。
それによって、井上ひさし芝居のエッセンスが、良くも悪くも処女作の中に見られるのがよ~くわかった。
つまり、一幕は奇抜な設定や言葉遊びでテンポ良く面白いのに、二幕になるとドラマをなんとか収束しなければならなくなって、芝居のペースが落ち、あえて言えばご都合主義に陥ってしまう傾向がある。執筆が遅く、自ら「遅筆堂」などと称していた井上ひさし氏。一幕は筆の勢いが感じられるものの、二幕ではさっぱり筆の勢いが感じられないのだ。一幕はミュージカル仕立てなのに、二幕では当然のことながら曲を付ける時間的余裕がなかったものとみられ、音楽は無し。(音楽は服部公一氏)
一幕と二幕のバランスがどうも悪いのだ。
これは他の井上作品でも感じたことがあり、ああ処女作から変わらなかったんだ、と変に感心してしまった次第。

それともう一つ。
井上ひさしという作家は、劇作家というより、小説家・文学者だったんじゃないだろうか。
出版されている文庫本などで読む「以上」の劇的感興が、舞台から感じられないのだ。
これは演出や役者の側の責任かもしれないが、案外、井上作品が本質的に持っている「文学性」に原因があるのかもしれない。

とにもかくにも、現代日本の演劇史の中でひとつのエポックを残した井上ひさしの「原点」に触れることのできる貴重な観劇体験でした。

テアトル・エコーHP
http://www.t-echo.co.jp/

2010年9月17日金曜日

老匠による端正な音楽

■ネヴィル・マリナー指揮、N響第1680回定期公演(Bプログラム)
[2010年9月16日(木) サントリーホール]

今月のN響定期の指揮は、ネヴィル・マリナー。
いまだに、アカデミー・セントマーチン・イン・ザ・フィールズ(アカデミー室内管弦楽団)の創設者というイメージがどうしても強いが、もう御歳86歳。堂々たる老マエストロだ。
3年前にN響定期でブラームスの交響曲第4番を指揮して、その滋味あふれる音楽に好感をもっていたので、今回の演奏会も楽しみにして出かけた。

曲は、
チャイコフスキー:幻想序曲「ハムレット」
サン=サーンス:チェロ協奏曲第1番
ブラームス:交響曲第1番
というもの。

Cプログラムの1曲目は、シェイクスピアの「から騒ぎ」を元にした、ベルリオーズの歌劇「ベアトリスとベネディクト」序曲だから、シェイクスピアの国イギリスの指揮者として、コンサートのオープニングに“シェイクスピア物”を置いて特色を出したのだろう。こういうことが読み取れると、コンサート・プログラミングの面白さが実感できて楽しい。

演奏は、一言で言って「端正」そのもの。
しかし、決して折り目正しいだけで盛り上がりに欠けるかというと、そうではなく、音楽の自然な流れの中で、ちゃんと盛り上がっていく。
マリナーも御歳86歳。
“爺さん好き”な日本の聴衆は老匠に大喝采していた。

そうそう、チェロ協奏曲でソリストをつとめたアルバン・ゲルハルトが、ブラームスではちゃっかり2プルト目に座ってオケのトラをつとめていました。
自ら「志願兵」で乗り込んだのか、なんらかのアクシデントで生じた穴を埋める助っ人だったのかはわからないが、信頼するマエストロの棒の下でシンフォニーを楽しそうに演奏している姿が微笑ましいものでした。

2010年9月10日金曜日

演奏会シーズン再開!

■北原幸男指揮、武蔵野音楽大学管弦楽団演奏会
(2010年9月9日(木) 東京オペラシティコンサートホール)

今年の夏は猛暑!
おまけに長い!
こうも暑いと、さすがにコンサートホールや劇場になぞ出かける気が失せてしまう。
というわけで、8月後半からしばらくは音楽や芝居から遠ざかっていたが・・・
昨夜、武蔵野音楽大学管弦楽団の演奏会で私の“秋のシーズン”再開しました。

指揮は北原幸男マエストロ。
(彼、実は小学校の同級生なので、スケジュールが許す限り演奏会には足を運んで応援しているのです)

プログラムは、ベルリオーズの「ローマの謝肉祭」序曲と幻想交響曲に、コンチェルトはショパンの1番。
ピアノ独奏は、学生オーディションで選ばれた野上剛君。

端正だけど、きちんと盛り上がっていくベルリオーズ。
繊細で美しいショパン。
学生たちのオケも、なかなか頑張っていい響きを出していました。
何よりも演奏に対するハートの熱さを感じられて、好感が持てます。
そして音大オケの魅力の一つは入場料の安さ!
これだけの演奏で、料金1,500円也はお得だと思いますよ。

というわけで、私が立ち上げに関わり、現在もアドバイザーを務める「音楽大学オーケストラ・フェスティバル」が11月から12月にかけて東京芸術劇場とミューザ川崎シンフォニーホールで開催されます。
これなんか、入場料1,000円だからね!
いまどき千円札一枚で芸術に触れられる機会なんて、そうそうありませんよ。

2010年8月29日日曜日

映画「ようこそ、アムステルダム国立美術館へ」

今年の夏は異常に暑い!
こうも猛暑日が続くと、とてもコンサートなどに出かける気分になどなれない。
それに、「クラシック音楽」というジャンルの大半は、「炎天下」とか「汗」とかと「同居」しにくいもののようだ。

というわけで、ブログの更新も久方ぶりとなってしまいました。

8月上旬に佐渡裕指揮の「キャンディード」を観て以降、接した舞台芸術は知人のお嬢さんのピアノ演奏会とMETライブビューイングのアンコール上映で「清教徒」のみ。

そうそう、先日「ようこそ、アムステルダム国立美術館へ」という映画を観に行った。

これ、“アート・マネジメント映画”とでも呼びたくなるような映画。
美術館の改修工事を追ったドキュメンタリーなんだが、「改修」の方は、設計コンペが済んでいるにもかかわらず、地元サイクリスト協会が自転車用通路を現状通り確保しろと横やりを入れてきたり、研究棟の高層建築がどんどん低くなっていったり・・・と騒動の連続。挙句の果てに、工期はどんどん伸びるし、館長は嫌気がさして辞任してしまうし。今もって美術館は閉館中・・・というもの。

なぜ“アート・マネジメント映画”かというと、日本とオランダの違いはあるにせよ、公共施設が陥りがちな滑稽極まりないゴタゴタの要素が見事に描かれているから。
オランダの公立文化施設とお役所の「仕事ぶり」を見て、「日本はあんなんじゃない」などと笑うことなかれ。日本だって同じような芽があったり、あるいは、整然と進む「民主的手続き」に市民や芸術愛好者の意向とかけ離れた官僚主義があったり・・・・いろいろなことを考えさせられてしまうのです。

この映画、観て楽しかったかというと・・・舞台芸術と美術の違いこそあれ、公立の文化施設に関わったことのある身としては、いろいろと不愉快なことが思い出されてしまい、決して楽しいものではありませんでした。
でも!
こんなドキュメンタリー映画の撮影を許可したということは、オランダという国はご立派!
日本だったら、「うまく行ってること」しか撮影させないんだろうなぁ・・・。

オランダという国に行ってみたくなってきた。

2010年8月8日日曜日

キャンディードの遍歴はアメリカそのもの

■佐渡裕芸術監督プロデュースオペラ2010「キャンディード」
[2010年8月7日(土) Bunkamuraオーチャードホール]

大好きな「キャンディード」の素晴らしいプロダクションに、一年のうちに二度も出会えるとは!
(もう一度は、6月の帝劇、ジョン・ケアード版ね)

バーンスタインの名作を「最後の愛弟子」佐渡裕が指揮。
兵庫芸術文化センターの芸術監督として開館5周年を記念しての事業の東京公演だ。
演出はロバート・カーセン。2006年パリのシャトレ劇場で制作された舞台。

舞台装置は巨大なテレビ。それも60年代の丸みを帯びたブラウン管テレビだ。
序曲の間、「良きアメリカ」の幸せな家庭風景やケネディ大統領の映像が映し出される。
もうこれだけで、胸がジーンとしてきてしまう。効果抜群!

ロバート・カーセンの演出は、キャンディードの遍歴をアメリカに置き換えて描いている。
「この世界は、あらゆる可能性の中で最善に造られている」という、バングロス博士が唱える例の最善説。アメリカという国が国際社会の中で無邪気に存在している間は、幸福感に浸っていられたかもしれないが、やがて矛盾や衝突が生じ、それでも最善なのだ、と言い張り続ける・・・・。戦後のアメリカ合衆国という国(あるいは「アメリカ文化」といってもいいかもしれないが・・・)がたどった道そのもののように演出されている。

ウェストファリアの男爵家はホワイトハウスだし、クネゴンデはマリリン・モンロー。
船の遭難はタイタニック号を連想させるし、キャンディードが絞首刑にあう場面はマッカーシーによる「赤狩り」だ。
マクシミリアンと再会する新大陸は、モルモン教徒の多いことで知られるユタ州のソルトレイクシティ。
油田で有名なテキサスや、ハワイも出てくる。
放浪の果てにたどりついたヴェネツィアは、ラスベガスのカジノだ。

ロバート・カーセンが徹底してアメリカの戦後史と絡めて演出したことで、「キャンディード」の奇想天外なストーリーが現実味を帯びて観る者の心にメッセージを発信してくる。
これこそ、「演出」というものだろう。

フィナーレの「僕らの畑を耕そう Make Our Garden Grow」では、様々な環境破壊の映像の後に、地球の映像が大写し。ヒューマニスト・バーンスタインも納得するであろう素直なメッセージで締めくくられた。

ソリストは、オペラ畑の人もいればミュージカル畑の人もいて、全員ワイヤレスマイクを使って拡声していたが、そんなこと全然気にならず、オーケストラや合唱、舞台美術や劇場空間とのバランスも良く、音楽に込められたメッセージがストレスなく客席に届いていた。
このキャスティングと音響処理は大正解である!

「平和」について何かと考えさせられる機会の多いこの時期、このような「キャンディード」の舞台に接することができBravo!でした。

2010年8月7日土曜日

ショパンの音

■クラシカル・プレイヤーズ東京 演奏会
[2010年8月6日(金) 東京芸術劇場]

有田正広率いる「クラシカル・プレイヤーズ東京」の演奏会に出かける。
この日のメインは、ショパン時代の楽器でショパン自身も愛用したといわれる「プレイエル」のピアノを使用してのショパンの「ピアノ協奏曲第1番」。ソリストは仲道郁代。

単に独奏楽器がショパン時代のものというだけでなく、オーケストラの方も、ピアノとかぶる部分はtuttiではなく各パートのsoloだけでコンチェルト・グロッソ風に演奏するという「凝りよう」。

いつもは華やかに響き渡るショパンのコンチェルトが、作曲された当時を彷彿とさせるサロン風で内省的な響きとなって繰り広げられていく。
ああ、ショパンはこういう音を聴きながら、音楽を作っていたんあなぁ・・・。
ショパン・イヤーに相応しい、面白い音楽体験でした。

他には、ヴィヴァルディの「四季」から『夏』、モーツァルトの「フィガロの結婚」序曲と交響曲第40番の第一楽章、それにベートーヴェンの響曲第7番の第一楽章という名曲つまみ食いプログラム。
基本的にはこういうプロはあまり好きじゃないのだが、この暑い夏の真っ盛りには、深刻ぶることもなく却って聴きやすいのかも。
有田氏によると、交響曲の楽章を分割して、間にアリアやコンチェルトを挟む、かつてのプログラミングを参考にしたのだとか・・・。これも歴史考証から出た一例。

ただし、18時半の開演で、終演は21時15分すぎ。早く終わるのかと思っていたら、むしろ長めの演奏会になってしまってた。

2010年8月6日金曜日

真夏のブルックナー

■ファビオ・ルイジ指揮 PMFオーケストラ東京公演
[2010年8月4日(水) サントリーホール]

バーンスタインの提唱で1990年以来、札幌で開催されているパシフィック・ミュージック・フェスティバル。札幌の音楽祭には、まだ出かけたことはないが、東京での演奏会には何度か足を運んでおり、毎回、若者たちの熱気あふれる演奏に感動したり、元気をもらったりしている。

今年は、ファビオ・ルイジの指揮。
プログラムは、ショパンのピアノ協奏曲第2番とブルックナーの交響曲第7番という、酷暑の夏にしてはちょっと重め?
ショパンのソリストは、リーズ・ドゥ・ラ・サール。

重めのプロながら、胃もたれせずに気持ちよくホールを後にできた。
その理由は・・・・
何といっても、ブルックナーでの弦の柔らかくて一体感のある響き!
これは、アンサンブルを築くのに時間をかけて集中できる「フェスティバル」での教育プログラムならではのものだろう。ブルックナーのパウゼのたびに、ホール空間に溶け込むように響いていく優しいオケの響きがとても印象的だった。

ファビオ・ルイジの指揮も、ブルックナーだからといって、あまり深刻ぶらず、音楽をきちんと気持ちよく推進していってくれる。
久しぶりに心地よいブルックナーを体感しました。

2010年7月29日木曜日

縁遠かった「クラシック・バレエ」

■エトワール・ガラ2010
[2010年7月28日(水) Bunkamuraオーチャードホール]

縁あって、普段は滅多に観ないクラシック・バレエの公演に出かけた。

クラシック・バレエなる舞台芸術は、自分にとって一番縁遠いものかもしれない。

というのも、そう感じてしまう原因は、まず「音楽」。
どうしても音楽に重点を置いて舞台に接してしまうので、バレエ公演で流れる「音楽」というものには常に違和感を覚えてしまうのだ。音楽の心地よい盛り上がりがダンスの都合で打ち切られたり、ジャンジャカジャンジャカしてばかりの音楽にいらだってしまったり・・・。
おまけに、演劇空間的にも、リノリウムをひいただけのガランとした舞台と、申し訳程度にセッティングされた最小限でチープな舞台装置にいつもげんなりしてしまう。

という訳で、自分から積極的にクラシック・バレエの公演に足を運ぶことは、まず「ない」。

今回足を運んだのは、パリ・オペラ座のダンサーを中心としたダンサーたちによる来日公演「エロワール・ガラ2010」の初日。
前半は、小品集。
そして後半は“世界初演”を銘打たれた「三銃士」。

小品集もなんだかよく解らなかったが、後半の「三銃士」はいただけなかった。
理由は、やっぱり音楽!
映画音楽の大家、ミシェル・ルグランの曲を寄せ集めて構成したそうだが、あまりにご都合主義的で全体の統一感が皆無。演劇的に見ても、各場面が説明的すぎて「ドラマ」としての面白さやメリハリがまるでない。
舞踊のテクニックは素晴らしいんだろうが、舞台作品としては「世界初演」と称して東京で上演する意義がどこにあるんだろう、とはなはだ疑問に感じてしまった。
ま、一流ダンサーをはるばるヨーロッパから招いてのガラ公演ということで、あまり難しい顔で接するもんでもないんだろうが、やたらとかかる「ブラボー!」に、こちらは却って白けてしまった。

「縁あって」というのは、この作品に「助演」として出演していたエキストラに、デラルテ舎アミーチの一人がいて、彼から急きょご案内をいただいたから。
しっかりと助演の重責を果たしている舞台姿を確認し、こちらの方は大いに満足しました。

2010年7月26日月曜日

別の季節に聴いていれば・・・

■クリスティアン・アルミンク指揮、新日本フィル第72回多摩定期
[2010年7月25日(日) パルテノン多摩]

5月の「ペレアスとメリザンド」や6月のスピノジ指揮の演奏会が面白かったので、今回のプログラミングにも興味を抱いていた。ただ、東京公演の24日が所用でNGなので、同一プロの多摩定期を聴きに、休日の午後、遠路はるばるパルテノン多摩まで足を運んだ。

そのプログラミングというのは・・・

ブラームス:悲歌
R.シュトラウス:4つの最後の歌
ブラームス:ハイドンの主題による変奏曲
ブルックナー:テ・デウム

ね、なかなか素敵なプログラムでしょ。声楽を加えて、ドイツ・オーストリアの音楽文化が最も熟した時期の作品を並べたあたり、なかなか凝っている。大好きな「ハイドン・ヴァリエーション」もあるし。音楽監督アルミンクならではのコンセプチュアルなプログラミングだ。

で、感想はというと・・・

う~む、季節を完全に間違ったかな、というのが正直なところ。
こういう、いわば「内省的」な音楽は、秋か冬に聴いたらさぞかし感想も違うだろうに・・・。
この時期、梅雨も終わって、いよいよ夏本番。外は気温が35度近くもあり、紫外線が大活躍。
活動的な太陽の光を浴びると、人間は活性化するものなのだ。
だから、理屈抜きで明るく楽しい音楽の方が、この季節にはふさわしいような気がする。

舞台上で奏でられる音楽と現実との季節感のあまりの違いを埋めることができず、なんとなく中途半端な気持ちのままホールを後にした。

2010年7月21日水曜日

「ヴェネツィアが燃えた日」


ヴェネツィアのフェニーチェ劇場で、ブリテンの「ねじの回転」を観たのは1992年の春のこと。
オペラの方は、当時は何だかさっぱり解らなかったが、劇場内部の豪華な装飾や、ヴェネツィアの運河や小路の奥のフェニーチェ劇場の佇まいなどは記憶に残っている。

そのフェニーチェ劇場が火災で焼け落ちたのが、1996年1月29日の夜のこと。
そのニュースに接して、少なからずショックも受けたのを覚えている。

この本は、アメリカのジャーナリスト、コラムニストのジョン・ベレントが、火災の3日後にヴェネツィアを訪れたところから始まる。

火災にまつわる虚々実々、ヴェネツィアに集まる不思議な人々やアメリカの慈善団体。それらを取材したノンフィクションである。本の扉裏にも「登場するすべての人々は現実に存在し、それぞれ本名で示されている」とある。
事実は小説より奇なり!
フィクションだったら、とても嘘っぽっくなてしまうような事が、現実のヴェネツィアでは日々繰り広げられているのだ。

10年ほど前には、ヴェネツィアのアパートメントで数日間「プチ生活」をしたこともある。 だから、ヴェネツィアで「壁に耳あり障子に目あり」といった事態に遭遇した経験も。 あの街の特殊性から来る「魅力」を改めて実感できた。

ヴェネツィアを訪れたことがない人には、ピンと来ない点もあるかもしれないが、一度でも訪問したことがある人にとっては、格別面白く読めるオススメ本です。

2010年7月19日月曜日

オペラな三連休(3日目)

■METライブビューイング アンコール上映「魔笛」
[2010年7月19日(月・祝) 東劇]

オペラな三連休、締めはMETライブビューイング2006-2007シーズンから「魔笛」のアンコール上映。
当時はまだMETのライブビューイングにそんなに嵌っておらず、観ていなかった演目のひとつだ。

演出は「ライオンキング」のジュリー・テイモアー。
ミュージカル「ライオンキング」でおなじみの動物のアクションや造形はもちろん、夜の女王や3人の侍女、モノスタトスなどにも、ライオンキング的手法がふんだんに盛り込まれていて、それが「魔笛」の世界のファンタジックでミステリアスな世界とマッチして大成功!
何よりも、モーツァルトに「魔笛」を作曲させた産みの親で興行主、自らも鳥刺しパパげーノを演じたシカネーダーが現代に生きていたら、きっと真っ先に飛びついたようなショービジネスの才能に着目したのは、さすがMET。
そうそう、「魔笛」って“歌芝居(ジングシュピール)”だから、オペラというよりミュージカルだもんね。
理屈なんか抜きにして、楽しくなくちゃ!
「ライオンキング」の手法で「魔笛」を演出しようと企てたMETの発想もさすがだし、それを実現させてしまう創造力にも脱帽!

今回の上演、休憩なしの2時間ぶっ通し上演だが、こうすることによって、ザラストロの世界と夜の女王の世界のデコボコ感もなくなり、話がすっきりとした。これはなかなかいいアイディアかも。

指揮は音楽監督のジェイムズ・レヴァイン。
ドイツ語ではなく、英語による上演でした。

オペラな三連休(2日目)

■都響「売られた花嫁」
[2010年7月18日(日) サントリーホール]

オペラで三連休の二日目は、チェコの国民的オペラ、スメタナ「売られた花嫁」。

都響創立45周年記念特別公演と銘打たれたコンサートオペラ、いわゆるセミ・ステージ形式の上演である。
指揮と演出は、レオシュ・スワロフスキー。

ソリストは全員チェコやスロヴァキアからの「ご当地歌手」。
だから、このオペラが完全に体に染みついていて、安心して聴いていられる。
(「一生懸命に覚えました」というお勉強臭さが、当然のことながら、微塵もない。)

合唱は二期会合唱団。
P席中央で、譜面を見ながら、演技は一切なし。きちんと歌っていた。
なにせチェコ語は難しいし馴染みもないだろうから、合唱はこれで充分。
ソリストの歌と動きに集中できてかえって良かった。

ソリストの衣裳は、スロヴァキア国立コシツェ歌劇場のもの。
(チェコではなく、スロヴァキアだから、今では微妙に「お国」が違うのだが・・・)民族色が素直に表現されたデザイン。紺と赤と白の色使いによる主人公マジェンカの衣裳など、チェコの国旗の配色を連想させられ、なるほどねと変なところで感心!

音楽は、チェコの“国民オペラ”だけあって、民族的な旋律や舞曲が全編に散りばめられ、とにかく聴いていて楽しい。難しい解釈や読み替えなど不要な、大衆受けするオペラだ。

ナビゲーターの朝岡聡氏は酒場の主人役として登場。かなり健闘はしていたが、オペラの中の「役」を演じるには、ちょっと空回りだったかな。

チェコはビールが美味しいところ。
休憩時間にはビールで喉を潤して、ボヘミアの小さな村を舞台にしたチェコの国民オペラを楽しみました。

2010年7月18日日曜日

オペラな三連休(第1日)

■二期会「ファウストの劫罰」
[2010年7月17日(土) 東京文化会館]

梅雨も明けて本格的な夏到来!
夏の初っ端は、オペラ三昧の三連休である。

まずは第一弾。
二期会によるベルリオーズ「ファウストの劫罰」。

この作品は、一昨年のMETライブビューイングで観た、ロベール・ルパージュの、映像を駆使した鮮烈な演出が記憶に新しい。
今回の二期会公演は、ダンスカンパニー「H・アール・カオス」の大島早紀子の演出。

もともとこの作品、「オペラ」ではなく「劇的物語」。
独唱と合唱入りのオーケストラ作品だから、場面も断片的だし、ドラマとしての演劇性も中途半端。それをダンスの分野のクリエイターによって、スペクタクルな舞台作品にしようというのが企画の原点なんだろう。

スペクタクル性という点では、宙づりやフライングなどを駆使したH・アール・カオスの「舞踊」が、ある意味存分に効果を発揮。でも、「オペラ」の要素が舞踊の「伴奏」に陥ってしまっているようで、これって本末転倒じゃないの?
なんだか、「庇を貸して母屋を取られた」ような感じ・・・。

演出も、ダンサーが登場している場面はいいのだが、歌手だけのシーンになると、とたんにつまらなくなる。(2部の酒場のシーンは、合唱に効果的な動きを演出して面白く作ってあったが・・・)
そもそも、H・アール・カオスの大がかりな舞台空間と、ドラマに充分な緊密な舞台空間とでは、「空間の広さ」に差がありすぎるんじゃないかなぁ・・・。

とにもかくにも、オペラを観に行ったのに、歌手も合唱もオケも、ダンスの伴奏をさせられているような舞台に、どこか釈然としない気持ちを抱いてホールを後にした次第。

「体調不良」で降板した林美智子さんに替ってマルグリートを歌った小泉詠子さん、丁寧で、清楚で、なかなかの好演でした。

2010年7月15日木曜日

面白いってのが大事

■読売日響第495回定期演奏会(シルヴァン・カンブルラン指揮)
[2010年7月14日(水) サントリーホール]

先週のハイドン、ヴァレーズ、マーラーというプログラムのコンサートが至極「面白かった」ので、2週連続でカンブルランが指揮する読売日響の演奏会に出かけた。
今回のプログラムは純正「フランス物」。

フォーレ:「ペレアスとメリザンド」
メシアン:鳥たちの目覚め
ドビュッシー:ピアノと管弦楽のための幻想曲
デュテュー:5つの変遷

メシアンとドビュッシーでのピアノ独奏は児玉桃。

ね、面白そうでしょ?

カンブルランという指揮者、コンサートを「面白そうに見せる」才能が抜群の人だ。
単に名曲を並べるだけじゃなく、プログラムの構成や流れのなかに、さりげなくストーリーやコンセプトを織り込み、舞台表現者として何かを主張しようとする。こちらは、その主張を受けて「なるほど~」と思ったり、「どれどれ?」と好奇心を抱いたりして、ホールに足を運ぶ。
表現者と聴衆・観客の関係は、これが基本だと思うんだがなぁ~。
それに、プロのアーチストなら、自分の表現に興味を持ってもらうってことは芸術活動をする上でとても大切なことだと思う。
でも、これができる人ってのが、なかなかいないんだなぁ。

そして、その「面白そうでしょ?」と考えたことが、見て聴いて本当に「面白い!」と楽しませてくれる。
これはもう、かなり高度な表現力を持った魅力あふれるプロですよ。

マエストロ・カンブルランは、この「面白そうに見せて」本当に「面白い」、プロのアーチストだ。
あまり一般受けしないメシアンやデュティユーを入れたプログラムで、これだけお客を楽しませてくれるのだから。

カンブルラン時代の読売日響、これからも面白そうなコンサートで大いに楽しませてほしい。

2010年7月11日日曜日

元気ハツラツ!音大オケ

■洗足学園音楽大学レパートリーオーケストラ演奏会
[2010年7月10日(土) 横浜みなとみらいホール]

洗足学園音大の学生オーケストラを聴きに、休日で賑わう横浜へ。

「演奏の洗足」は、学生オケも盛ん。
今回の「レパートリーオケ」とは、学部の2~3年生を中心としたオケだ。
この他、1年生による「ビギナーズオケ」と4年生中心の「マスターオケ」があって、オーケストラの演奏技術を学んでいるという。

プログラムは、R.シュトラウス「ドン・ファン」、ドヴォルジャーク:チェロ協奏曲(独奏:木越洋)、ベートーヴェン:交響曲第3番「英雄」という堂々としたもの。
指揮は秋山和慶。

音大の演奏会というものは、元気ハツラツなのがいい。
今回も、管楽器の細かいアンサンブルとか、オケとしての音の一体感なんかは正直言って「まだまだ」だが、とにかく偉大な楽曲に臆することなくチャレンジし、懸命に音楽を作り上げようとするエネルギーは、見ていて気持ちいい。
それに、オーケストラの「初期」の段階というものが垣間見れるのも、なかなか貴重な体験だ。
おまけに、入場料が安い!(この演奏会なんて、1,000円だよ!)

音楽ファンの皆さん、「音大の演奏会」お薦めですよ!

2010年7月10日土曜日

「新しい音を恐れるな」


ドイツの指揮者インゴ・メッツマッハーが書いた「新しい音を恐れるな」を読む

「新しい音」・・・つまり、クラシック音楽の世界で「現代音楽」という呼び名で括られる音楽。モーツァルトやベートーヴェン、ブラームス、チャイコフスキーなどの「古典派」や「ロマン派」の作曲家の作品に比べて、「わかりにくい」「とっつきにくい」とされて、どちらかというと敬遠されがちなジャンルだ。

章建てされている作曲家は、目次順に、アイヴス、マーラー、ドビュッシー、メシアン、シェーンベルク、ヴァレーズ、シュトックハウゼン、ノーノ、ハルトマン、ストラヴィンスキー、そしてケージ。

そして、作曲家の章の間には、「時間」「色彩」「自然」「ノイズ」「静寂」「告白」「遊び」という、何やら意味ありげな章が挿入されてる。

ね、この並び見ただけでも、面白そうでしょ?

マーラーやドビュッシーだって、「新しい音」という流れの中で紹介されているし・・・。

いわゆる、音楽学者や評論家による入門書・解説書とは違い、一人の青年が音楽の道を志し、演奏家・指揮者として成長していく過程で体験し思考したことが語られていて、読みやすい。
そして、読み進むうちに、取り上げられた作曲家や曲に触れてみたいと思ってしまう。
こんな曲目解説だったら、演奏会ももっと楽しくなるのにな。

とにかくお薦めの一冊ですぞ!

インゴ・メッツマッハーは、秋に来日して新日本フィルに客演する。
実は、今からチェックを入れて楽しみにしている演奏会だ。
こうなったら、演奏会の曲目解説も、本人が書いたらさぞや面白いだろうに・・・。

2010年7月9日金曜日

カンブルランの仕掛けにBravo!

■シルヴァン・カンブルラン指揮、読売日響
[2010年7月8日(木) サントリーホール]

この春、読売日響の常任指揮者に就任したカンブルラン指揮による演奏会。
なんといってもプログラミングの面白さに魅かれて出かけた。

ハイドン、ヴァレーズ、マーラーですよ。

前半は、ハイドンの「天地創造」から序奏とヴァレーズの「砂漠」。
音楽で「カオス」を表したハイドンと、初演時の大騒動となった前衛作曲家ヴァレーズ。
そして後半は、マーラーの「大地の歌」。
全体を「大地」というキーワードで括っているようだ。

しかも前半、ハイドンとヴァレーズが続けて演奏された後、再びハイドンが繰り返された。
ハイドンの「前衛性」とヴァレーズの「聴きやすさ」が浮き彫りになり、あたかも一つの楽曲のよう。

クラシックの演奏会って、作品ごとに個別に演奏するのが当たり前のようになっているが、プログラムによっては、こうした「メドレー」とか「反復」のような趣向にどんどんチャレンジしてもいいんじゃないだろうか。演奏会そのもののコンセプトが明確になり、表現者のメッセージが伝わり易くなるのなら・・・。何といっても、コンサートは生の舞台芸術。名曲の名演ももちろんいいが、舞台から発せられるメッセージに共感したり触発させられる体験は、「生」ならではの大きな魅力だ。

カンブルランの「仕掛け」、これからも楽しみだ!

2010年7月3日土曜日

古いものは大切にしなきゃ

■日比谷公会堂開設80周年記念事業「N響第九」
[2010年7月2日(金) 日比谷公会堂]

洒落たコンサートホールが続々と誕生し、最近では滅多にクラシック演奏会が行われなくなった日比谷公会堂。しかし、戦前・戦中、そして戦後の復興期、ここはまさに「音楽の殿堂」だった。

その日比谷公会堂も御歳八十。
だが、いまだに立派な姿でカクシャクとしていたのには感動した。
確かに、最近の「若者」ホールのように、豊かな残響もなければ、バーコーナーもない。階段の段差はキツイし、客席の椅子は座り心地が悪い。
しかし、そんなことに文句をつける客は一人もいない。
だって、ここは昔からこうだったんだから・・・。

井上道義指揮N響の演奏で、聴きなれた第九の第1楽章が始まったとき、「そうそう、昔はこの響きでオーケストラを聴いていたんだ!」と懐かしくなった。(かつて、クルト・ザンデルリンク指揮の読売日響によるショスタコーヴィチなんかをここで聴いたことがあるのです)

残響はほとんど無し!スタジオ録音した各パートの音素材を、ミキシングなしで再生しているよう。
他ホールでは豊かな響きの影に隠れてしまう弦楽器の細かいパッセージが、直接音で耳に飛び込んできて、新鮮は発見もある。
かえってオーケストラの力量が歴然とし、細かいミスが目立ってしまう怖さもあるんじゃなかろうか。
こんな怖いホールで、日本音楽界の先人たちは、西洋音楽に果敢にチャレンジしていたのかと思うと、感慨もひとしお。

舞台には14型のオケと合唱団が乗るため、反響板の側板は取り払われており、舞台裏のシャッターやら配管などが剥き出しの状態。
会場に入ったときには、正直ギョッとしたが、慣れてしまえば、そんな飾り気のない「風景」も割烹着姿で化粧っ気のないおばあちゃんを見るようで微笑ましい。

会場はオールドファンと若い音楽ファンで超満員。
盛大な拍手は、このホールそのものへの郷愁と賛辞だったように感じた。

こういうホールは適切な改修を施して、末永く生き続けていってほしいものである。
古いものを大切にしなければ、ね!
今から20年後の「百周年」が楽しみだ。

2010年7月1日木曜日

お勧め!音大の演奏会

■洗足学園音楽大学打楽器アンサンブル演奏会
[2010年6月30日(水) 洗足学園・前田ホール]

洗足学園音楽大学は音大の中でも演奏会活動が盛んである。
年間、なんだかんだで100回くらいは演奏会が催されているんじゃなかろうか。
ちょっとした音楽事務所なみの回数である。
おまけに、夏と冬には「音楽祭」として演奏会を集中させ、イベントとしても盛り上げている。

夏の音楽祭、いわゆるNATSUONの初日に“洗足名物”打楽器アンサンブルの公演に出かけた。

和太鼓やスチールパンバンド、マリンバやシロフォンなどの鍵盤楽器アンサンブル、アフリカなどの民族打楽器によるアンサンブル、マーチングパーカッション、大編成の打楽器オーケストラなどなど、視覚的にも変化があって壮観だ。
そして、会場は満杯。
音楽大学の演奏会ということで、一般の音楽ファンやジャーナリズムの話題に上る機会があまり多くはないが、通常のコンサートでは味わえない熱気や活力がそこには確実にある。
編成や楽器運搬費など、経済的諸条件に左右されない自由なプログラミングによる面白さも魅力だ。
そして何よりも、安い!

若者たちのエネルギーを存分に吸収させてもらった演奏会でした。

洗足学園音楽大学の演奏会情報はこちら。
http://www1.senzoku.ac.jp/flash/university/concert/index.html

2010年6月26日土曜日

美しい「現代音楽」-2

■アルディッティ弦楽四重奏団
[2010年6月25日(金) 津田ホール]

「極めつきの現代音楽“大使”」(公演チラシから)、アルディッティ弦楽四重奏団のコンサートを聴く。
早朝のサッカーW杯日本×デンマーク戦のTV観戦でボ~ッとした頭を濃いコーヒーで覚醒させ、いざホールへ。
弦楽四重奏という、ある意味最も「伝統的」「古典的」な編成から繰り出される演奏表現の多様さに期待!

プログラムはまず、湯浅譲二、石井眞木という大御所作曲家の作品から。
湯浅作品(「プロジェクション」)は1970年、石井作品(「弦楽四重奏曲『西・金・秋』)は1992年という、ちょっと「昔」の作品だが、「音」の可能性を真摯に開拓し、音楽としての新しい地平を提示してくれた大家たちの音楽は、今もって極めて刺激的で新鮮だ。
続く、パスカル・デュサパン「弦楽四重奏曲第5番」は2004-05年の作。強烈なピチカートで始まる曲だが、「現代音楽」の持っていた前衛性、実験性がいい意味で和らいで、聴いていてどこか心がなごむような瞬間すらある。
休憩後は、ハリソン・バードウィスルの弦楽四重奏曲「The Tree of Strings」(2007)。演奏時間は30分程にもなろうか。かなりの大作だ。ステージ後方の壁沿いにも椅子と譜面台が置かれていて、曲の後半、演奏者たちは次々と後方に場所を移して演奏し、やがて一人また一人と退場していき、曲が終わる。この視覚的な効果も面白い。

盛大な拍手にこたえて、アンコールには、アーヴィン・アルディッティが「古い作品を演奏します・・・リゲティ」とアナウンスして、ピチカートを多様した曲をプレゼント。

客席も熱い拍手で盛り上がっていた。

というわけで、現代音楽“大使”たちの演奏を聴いて、今日も、「美しい」現代音楽を堪能。
私は、演奏家でも研究者でもないから、今日演奏された曲が100%「解る」かと問われれば、そんなもんちっとも「解らない」ですよ。でも、会場で実演を観て聴いていると、確かに「楽しい」し「面白い」し、何かを感じ取ろう、何を言わんとしているのだろうか、と心を表現者たちに近づけていこうとしている。作品や表現者との「対話」があるのだ。
そして解らないながらも、五感を通じて何かが心に響いた瞬間、「美しいなぁ~」を感じるのである。

このような刺激的な体験があるから、演奏会通いはやめられないのである。

2010年6月22日火曜日

美しい「現代音楽」

■N響Music Tomorrow 2010
[2010年6月22日(火) 東京オペラシティコンサートホール]

さて、無性に吸収したくなった「現代音楽」。
まずは、N響のMusic Tomorrow公演。

かつてN響は、3月の定期公演で尾高賞受賞作品の発表や内外の「現代音楽」でプログラミングしていた時期があった。もちろん指揮は、故・岩城宏之マエストロ。それに、ミヒャエル・ギーレンやハンス・ツェンダーなどという「現代音楽の権化」が客演で指揮したこともある。

それが、1980年代の終わり頃だったろうか。
N響定期から尾高賞作品が消え、別枠でコンサートが企画されるようになった。
プログラムとしては「現代音楽」に特化したものとなったが、定期公演の刺激性は弱まってしまったのは寂しい現象だ。

そんなわけで、わざわざ出かけた「別枠の」コンサート。今年度の尾高賞は、残念ながら「該当作品なし」だったが、今回のMusic Tomorrowでは、山根明季子のN響委嘱作品、藤家渓子の2000年「尾高賞」受賞作品に加え、フィンランドのアウリス・サリネン、フランスのマルク・アンドレ・ダルバヴィの曲が演奏された。

「水玉コレクションNo.6」というサブカルチャーを連想させるようなタイトルの山根作品。
既成の音楽語法とは大きく異なり、「水玉」のような視覚的な音が何度も反復される。オーケストラという古典的な「楽器」から新しい「音楽文化」のようなものが感じられ、ちょっとしたカルチャーショックを味わった。

百人一首に入っている壬生忠見の和歌からインスパイアした藤家作品(ギター協奏曲第2番「恋すてふ」)。ギターの囁くような音が、ドキッとするくらい美しく心に響いたかと思うと、それにオーケストラが分厚くかぶさっていく。進化し続ける西洋の管弦楽と、昔と変わらぬギターの美しさの対比が印象的。

サリネン作品は、この3月にアムステルダムで初演されたばかりの弦楽合奏とチェロ独奏の室内楽第8番「木々はみな緑」。チェロ独奏は初演者のピーター・ウィスペルウェイ。独奏チェロと弦楽合奏の音楽的会話が面白い。コンチェルトのようでいて、チェロと弦楽との緊密な室内楽的効果を醸し出していた。

ダルバヴィ作品は、メシアン生誕100年記念に作曲された作品。メシアン的和音とストラヴィンスキー的な躍動感が感じられる。ストラヴィンスキーやメシアンを生み出したヨーロッパ音楽の歴史の流れにしっかりと位置している作品であることを実感した。

総じて、どの作品も心に素直に入ってくる音楽で、響きも「美しい」。
この美しさが、今生み出されつつある同時代音楽の特徴なのだろうか。
清々しささえ感じられた「現代音楽」演奏会だった。

・・・・それにしても!客席の入りはなんとも寂しい限り。
3割か4割程度しか入ってなかったんじゃなかろうか。
「現代音楽なんだから仕方ないんじゃない」「まあ、いい方だよ」という雰囲気さえ感じてしまった。
演奏の完成度も高かっただけに、この現象は極めて残念!
主催者は、なんとなくルーティンにこの企画を毎年実施するのではなく、もっと宣伝・広報に工夫を凝らし観客創造に努めるべきなんじゃないだろか。
まだまだやるべきことはあるはず。
そうでないと、日本は世界の音楽マーケットの潮流からどんどん遠ざかってしまいますぞ。

2010年6月21日月曜日

現代音楽

「現代音楽」・・・・なんとも不思議な響きである。

ある種の音楽について、こんな表現でジャンル分けするのは「クラシック音楽」特有の現象だ。
ビートルズだってマイケル・ジャクソンだって、演歌だってユーミンだって、(例がいささか古いかな?)・・・・言ってみればどれもみな「現代」の音楽。
でも「現代音楽」なんていう言い方はしない。

一方、クラシックの分野では、一番尖っていた「現代音楽」は、メシアンにしろブーレーズにしろ、ケージにしろシュトックハウゼンにしろ、ほとんどが「前世紀」・・・つまり20世紀の音楽。(まだご存命で現役バリバリの作曲家もいらっしゃいますが・・・)
そもそも、なんで現代音楽は「尖って」いなきゃならないのか?

ここのところ、モーツァルトやマーラーがメインのコンサートやオペラの世界に浸ってきただけに、急に、いわゆる自分と同世代・同時代の作曲家の作品がプログラミングされた、「現代音楽」のコンサートに出かけたくなった。

というわけで、「N響Music Tomorrow」(6/22オペラシティ)とアルディッティ弦楽四重奏団(6/25津田ホール)のチケットを手配。
どんな「音楽」に出会えるだろうか。
「現代音楽」は、オケの編成や奏法、演奏家の配置など、実は見た目にも面白い要素がたくさんあるのです。

D's COMMENTは、また改めて。

2010年6月19日土曜日

至福のマーラー体験

■インバル&都響、マーラー「復活」
[2010年6月18日(金) ミューザ川崎シンフォニーホール]

実に見事なマーラーだった!
インバルの「復活」を聴くのは、もう何回目だろう。
N響でも、フィルハーモニア管でも、そしてもちろん都響でも。
しかし今回は、そのインバル&都響が、ミューザ川崎シンフォニーホールでマーラー「復活」を演奏するというので、多摩川を渡って川崎に出かけた。

理由は、このホールの素晴らしい音響空間で、インバル&都響のマーラーを実体験したかったから。

そして、期待に違わず、見事な演奏。
至福のマーラー体験となった。

何よりも、オケの音が舞台から湧き上がってくるのが「見える」。
ホールも素晴らしけりゃ、インバルの手腕もさすが!そして、それに応える都響の底力!!
その素晴らしい音響空間の中で、インバルは曲に様々な表情をつけながら、マーラーの大きなうねりを構築していく。
その姿は、まるで司祭のよう。

終楽章クライマックス、オルガンが加わるところなど、地底から湧き上がるオケの音と、天から降り注ぐオルガンの音、そして「人間」に力づよい合唱が一体となってホール空間を満たし、まさに「復活した~!」というよろこびで背筋がゾクゾクした。

そして素晴らしかったのは曲終わり。
最後の和音の余韻を充分堪能してから、幾分控え目に起こった拍手。
そして爆発的な大喝さい!
演奏が見事なら、お客も見事だった。

演奏家、曲目、ホール、聴衆・・・・演奏会を構成する全ての要素が素晴らしい化学反応をして、心に残る一夜となった。

これぞ!マーラー。
ヘンテコリンな超高速マーラーに辟易したばかりだったから、マーラーの醍醐味を味わいたいという音楽的渇望も充分満たされ、こちらの心も「復活」いたしました。

2010年6月17日木曜日

超高速マーラー

■アシュケナージ指揮N響定期
[2010年6月16日(水) サントリーホール]

いやはや超高速運転のマーラーだった。
曲は交響曲第6番「悲劇的」。

冒頭の行進曲風な出だしから、アシュケナージはオケを煽りたてて突き進む。
なにも、そんなにまで急がなくてもいいんじゃないの???
それは「躍動感」というよりも、むしろ「せっかち」といったほうがふさわしい速さ。
(彼の指揮姿も、どこかギクシャクしたせっかちな振り方だから、見た目が音楽に見事に反映!)
第1楽章が終わったときなんか、思わず笑いが出てしまった。

第2楽章と第3楽章は、通常の順番を入れ替えて演奏。
プログラムの挟み込みには
「第2、3楽章の順番については音楽学者のあいだでも論議されており、マーラー自身の結論が証明されていないことから、現在ではどちらの順番も演奏されています」
とある。
ふ~ん、そうだったんだ。
でも、普段聞いてる順番のほうが、しっくりくるなあ。

それにしても、スケルツォなんか速過ぎるよ。
耽美的に歌い上げる演奏じゃないから、管楽器軍団など威勢よく咆哮する。
威勢がいいのはいいんだが、もう少しマーラーの「響き」とか「歌」に浸っていたい気がするが、そんなことにはお構いなしに、シャカシャカと演奏は進む。

そして、終楽章も相変わらずのスピード違反高速走行。
ドカン!ドカン!と運命のハンマーを2回振りおろし、せっかちに早口でまくしたてて演奏は終了。
全体として、「悲劇的」というよりも、「悪魔の行進」のようなグロテスクなマーラー第6交響曲でした。
(あ、この曲に関しては、グロテスクさが感じられたということは、表現の方向性としては間違ってなかったということなんだろうか・・・)

演奏が終わって、アシュケナージは一人満足そうに嬉々としていたが、楽員のみなさんや他のお客さんはどうだったんでしょうねぇ。
私といたしましては、この方向性で表現されるのなら、アシュケナージのマーラー演奏の積極的な聴衆には今後なりたくないなぁ・・・という感想を抱いた次第であります。

さっさと帰ろう!
と、思わず速足でホールを後にして帰ってきました。

2010年6月14日月曜日

トニー賞!



トニー賞が発表になった。
さる4月にNYを訪問し、オペラやコンサートとともに、ブロードウェイのショービジネスを楽しんできたばかり。その限られたNY滞在中に選んだブロードウェイ作品の受賞はいかに???
「ゴージャズ!」というにふさわしいRadio City Music Hallでの授賞式の模様をNHK-BSの中継で観た。


4月のNY訪問で観たブロードウェイ作品は、次の3本。
「MILLION DOLLAR QUARTET」
「LEND ME A TENOR」
「FELA!」
3本とも、複数のカテゴリーのノミネート作品に選ばれている。
はたして賞の行方は???

「FELA!」が最優秀振付賞(Bill T. Jones)、最優秀ミュージカル衣裳デザイン賞(Marina Draghici)、最優秀ミュージカル音響デザイン賞(Robert Kaplowitz)の三つを獲得。「MILLION DOLLAR QUARTET」が最優秀ミュージカル助演男優賞(Levi Kreis)を獲得。
30秒に1回、大笑いして観た「LEND ME A TENOR」は、惜しくも最優秀賞の受賞は逃してしまったが、自分としては、今年のベストワンの舞台だった!

全カテゴリーの受賞リストは下記をご参照あれ。
http://www.tonyawards.com/en_US/nominees/winners.html

賞の結果には様々ご意見があろうが、短いNY滞在中に、素晴らしい舞台で楽しませてくれたBROADWAYに乾杯!

土日にヴォルテール

思いがけずヴォルテールにゆかりの舞台を2本続けて観劇した。
土曜日に帝国劇場でミュージカル「キャンディード」。
そして、日曜日は藤原歌劇団「タンクレーディ」公演。


■ジョン・ケアード版「キャンディード」
[6月12日(土) 帝国劇場]

バーンスタイン作曲のミュージカル「キャンディード」。
それを「レ・ミゼラブル」のジョン・ケアードが演出。
ロンドンのロイヤル・ナショナル・シアターで絶賛されたジョン・ケアード版の舞台を市村正親、井上芳雄、新妻聖子ら、日本のミュージカル俳優たちで上演。

もともと「キャンディード」という作品は好きなのだ。ノリノリの序曲は、朝の仕事始めの「景気づけ」によく聴くし、構成演出を手掛けたオーケストラ・コンサートのオープニングにプログラミングしたこともある。
10年以上前、スペインを旅行したとき、マドリッドのホテルの斜め前の劇場で上演している舞台を観て、芝居小屋の背景幕にシルエットを映しながら冒険譚を紡いでいく演出に興味を抱いたこともある。

今回は、市村正親がヴォルテールとバングロスの2役。井上芳雄がキャンディード、新妻聖子がクネゴンデ。村井国夫が悲観主義者マーティン、駒田一がカカンボ、阿知波悟美が老女、などなど、東宝製作のミュージカルの常連で日本のミュージカル界を代表する顔ぶれによるキャスティング。
バーンスタインの楽曲なので、まずはしっかりと歌えるキャストを厳選したのだろう。
オケは小規模編成で、音の厚みという点では物足りなさもあったが、溌剌とした音には拍手。

今回の演出で、どこが「ジョン・ケアード版」かというと、原曲では2役を兼ねる楽天主義者バンクロスと悲観主義者マーティンを、別の役者に演じさせている点。こうするとで、楽天主義と悲観主義の間で揺れるキャンディードの「ドラマ」が、視覚的にもより一層わかりやすくなった。バーンスタイン自身、生涯を通じて、この作品の改訂が気にかかっていたといいうこともあり、こうした改訂・演出で観客の心に浸透していくことは彼も大歓迎だろう。

終演後の舞台挨拶で、井上芳雄さんが「裏話」として、「市村さん、実はこの(キャンディード出演の)話が来たときに、キャンディード役だと思ったんですよね」と暴露していたのが印象的。そのくらい市村正親さんは若々しさがある。今回の老け役も、老いさらばえた老人ではなく、生命力と色気をまだ失わない活き活きとした「老人」で、その造形こそが舞台に華やかさを添えることにつながっていたように思う。


■藤原歌劇団「タンクレーディ」
[6月13日(日) 東京文化会館]

さて、二つ目の「ヴォルテール」は、藤原歌劇団公演のロッシーニ「タンクレーディ」。
どこがヴォルテールかというと、このオペラの「原作」となっているのが、パリのコメディ・フランセーズで1760年に初演されたヴォルテールの戯曲「タンクレード」なのである。
実は、上演パンフレットの解説を読んで、ヴォルテールの戯曲が元になっていることを初めて知った次第。
だから、ヴォルテールを求めて土日にミュージカルとオペラを連続で観劇したわけではない。偶然の産物なのです、あくまでも・・・。

さて、ロッシーニのオペラというと、「セヴィリアの理髪師」に代表される喜劇、早口言葉のように軽妙なアリアや重唱の印象が強いが、この「タンクレーディ」は大真面目なオペラ・セリア。歴史劇である。
ヴォルテールに代表される啓蒙主義の時代、西洋人が自らのアイデンティティを確認する上からも、ギリシャやローマ、中世の騎士物語などの歴史劇に「ドラマ」を求めたのだろう。
しかし、それをオペラに仕立てる過程では、登場人物の心情をアリアや重唱といった音楽で表さなければならない都合から、視覚的に面白くスペクタクルな部分は割愛されてしまう傾向があるようだ。この「タンクレーディ」も、決闘や戦いの要素は「報告」という手法で処理され、舞台では視覚化されない。そして、全体的に「動き」の少ない舞台という印象を受けてしまった。もちろんこれは、演出の仕方でいかようにも解決できることだろうが、今の日本のオペラ製作の事情からすると、無理なのかな???

オペラとしては、ロッシーニの大御所だるマエストロ、アルベルト・ゼッダがソリストもオケもよくコントロールした老練な指揮で、見ごたえのある格調高い上演に仕上がっていた。
この、あまり馴染み深いとはいえない作品に果敢にチャレンジした藤原歌劇団に拍手!

2010年6月6日日曜日

VIVA!南イタリア

■アッコルドーネ公演
[2010年6月5日(土) 三鷹市芸術文化センター風のホール]

客の心をつかんだら、「古楽」と「民俗音楽」の垣根をひょいっと飛び越え、南イタリアの地に舞い降りた・・・そんな心躍るような楽しいコンサートだった。

前回も今回も、日本公演のチラシに使われている中心メンバーで歌手のマルコ・ビーズリーの特異な表情(スキンヘッドに鬼気迫る表情)もあって、どんな音楽をするグループなのか気になっていたのだ。今回は、コンサートに「フラ・ディアーヴォロ」とタイトルをつけ、ナポリやプーリア、カラブリア、バジリカータなど南イタリアの伝承歌謡で構成。フラ・ディアーヴォロ~悪魔の修道士・・・・スキンヘッドの彼がそうなのか???

今回のメンバーは、歌のビーズリー、音楽監督でチェンバロとオルガンのグィード・モリーニ、バロック・ギターのステファーノ・ロッコ、テオルボのフランコ・パヴァン、リュートのファビオ・アックルソ、そしてフレーム・ドラムのマウロ・ドゥランテの6人。
演奏された曲は、スペインやギリシャ、ナポレオンのフランス軍やイタリア共和国など、支配階級に翻弄されながらも、たくましくしたたかに生きた民衆が、日々の生活の中で歌い奏でた音楽だ。様々なタランテッラや伝承歌謡をビーズリーとモリーニが「古楽」の節度と教養で構成。マルコ・ビーズリーの表現と、若いマウロ・ドゥランテのフレーム・ドラムの妙技が、他のメンバーの節度を保った演奏表現に乗って冴えわたる。
カラブリアに伝わるルッフォ枢機卿の軍隊の歌「高らかに打ち鳴らせ」の勇ましい行進曲風な曲から、戦いが済んで民衆には辛い生活の日々が戻っただけだと訴えているような「馬車引きの歌」への流れで締めくくられるコンサートのフィナーレが秀逸。南イタリアの荒れた大地と乾いた風が見えた!

とにもかくにも、南イタリアへの観光的な興味に終わることなく、プログラムの根底に存在している「民衆」を実感できたコンサート。アッコルドーネという古楽グループ、今後の企画からも目が離せそうにない。次はどんな切り口でプログラムを組んでくれるのだろうか。楽しみだ。

そうそう、アフターコンサートには、もちろんナポリ風ピッツァの店に直行!
マルゲリータやフンギ・ビアンコの熱々ピッツァと白ワインで胃袋にも南イタリアの風を入れてあげました。

2010年6月5日土曜日

コンサートは見て楽しむもの!

■スピノジ指揮、新日本フィル
[2010年6月4日(金) サントリーホール]

公演チラシの裏には、指揮者のヨーロッパでの演奏会評から「(指揮者)は古楽にナイトショー的スパイスを加えた」とある。ナイトショー???どんな仕掛けがあるのだろうか?ただただその興味から、ジャン=クリストフ・スピノジが指揮する新日本フィルの定期に出かけた。席はサントリーホールの2階RAブロック。指揮者の表情はもちろん、下手舞台袖からの出入りもよく見える。

予想に反して、オケは対向配置ではなく通常の配置。大きさは12型。
1曲目のモーツァルト「コジ・ファン・トゥッテ」序曲から、ノンビブラート奏法を基本とし、拍やテンポのメリハリを強調した生気あふれる音楽が展開。いわゆる古楽系のアプローチだが、妙に学究的になることなく「見て聞いて」楽しめる演奏だ。
続くメッツォ・ソプラノのリナート・シャハムを迎えての「フィガロ」と「コジ」からのアリアも然り。ソリストはオケの前のスペースを縦横に使い、動きの面でもアリアの世界を十分に「演出」して見せる。

「事故」はハイドンの交響曲83番「雌鶏」の第2楽章で起こった。弦の音を長くのばしてから、管が入るところで、指揮者のQと弦が一瞬ずれた。音楽の表情を強調したための一瞬の「事故」。コンマスの機転で音楽が崩壊せずに済んだが、久しぶりに味わう生の演奏会ならではのスリル。ナイトショーだとすれば、芸人がジャグリングの球を落としたようなものか。マエストロ・スピノジは、これで一気に「汗」が噴き出したのか、目に入った汗をしきりに手やジャケットで拭う。あいにくハンカチは持ってない。楽章が終わって、女性ヴァイオリン奏者からハンカチを借り、目に入った汗をぬぐっていた。
休憩時にはステマネが指揮台に白いハンカチを用意。登場したスピノジは、ハンカチの存在を確認し、客席にアピールし笑いを誘う茶目っ気ぶりも。

ロッシーニの序曲とアリアを表情豊かに演奏したあと、ラストはやはりハイドンの「熊」(交響曲第82番)。その終楽章がまさにサプライズ演出。これで終わりかとラストを盛り上げておいて、拍手のフライングをわざと誘う。(かく言う自分も不覚にもフライングしてしまった!)そしてもう一度フィナーレ。最後の和音は何度か繰り返す。客はもうフライングしたくないから拍手していいものかどうか一瞬のためらいが会場に充満。指揮者が客席を向いて、ああ本当に終わったんだ。と思いきや、オケがすかさずもう一発ジャン!指揮者もびっくり!ハイドンの交響曲だからこそできる「遊び」「見世物的効果」。こういうことに遭遇できるから演奏会通いはやめられない。そして、コンサートは「見て楽しむもの!」ということを改めて実感した一夜だった。

このスピノジという指揮者、まだ若くキャリアもほんの数年といったところか。これから欧米の音楽シーンで名前が挙がってくる人材だろう。
彼の演奏会はこの1回だけ。しかし、お試しとはいえ、彼との演奏会を実現させた新日本フィルの英断に拍手!